雨滴の音を聴きつゝ。
島田清次郎

 代々木の家が震災時の修理をしてゐるので、其後ずうつと、何のことはない、何かしらん奇怪なるものゝ大群に囲繞せられて、行動を束縛されてゐたが、今日は、しめやかな雨の日で、ホテルの一室ではあるが、程よく暗い日のかげりが、自分の心を柔らかにしてゐる。隣室では新婚者らしい若い二人が日に夜をついでひつそりしてゐるが、今の自分の心はむしろ、その動物的な、プリミテイヴな愛欲のすがたをやゝ可憐にやゝ汚なく感じるのみである。楽しめる時に楽しんでをくがよい。その代り、その責任は自分で持て。それ丈けの話だ。それ丈けのことであつて、それが、今の余に対しては寸毫の影響にはならない。
 静かな雨滴の音が、余の心にしみて、森然たる落附きを与へてゐる。すべてのことが広大なる忘却の海に融け入つて、たゞ汪洋たる世界認識の上に大あぐらをかいてゐる静寂と安らかさと、白刃のやうな敏感さとが残されてゐる。自らなる微笑がわが口辺に浮んで来るのである。この瞬間、世界中の人間をゆるしてやつてもいゝやうな気さへするが、――また、その寛大さは自己の意識を引きしめることによつて、無批判の境からひきもどされる。サーツとした寒さがはしるのだ。
 動、反動といふことを考へてみる。なか/\に面白いが考へてみるだけで、こゝには書くのを差控へる。一昨年倫敦で'The Game of the Life'といふリリアン・ギツシユが可憐な少女になつたシネマを見たことがあつたが、たいへんに面白かつた。その時の面白さと一種の深い哲学的の恐怖感とは今も忘られないものである。日本当代の現実なども、今少し、客観化の余裕が作家階級の間に生じたなら、可なりに Sweet な一種のロマンチツク時代であることが発見せられるであらう。元来 Romance の一大要素は、現実的利害を超越した、一種の間ぬけさであつて、その心理の空間に生じる充実した甘美さである。
 この頃やつぱり勝つばかりではこの世は面白くないのだと考へて来たと云ふた人がある。人心の贅沢さは、負けることによつて勝利の感覚を体験しやうとするほどに delicate になつて来てゐる。しかしそれは、やつぱり一種の錯誤であり、遊戯であり、現実的生活の態度としては排除すべきことなのであらう。個人の気持や感覚の成熟は、要するに、その個人の属する文明の成熟であり、そこに一種の危険が潜んでゐるわけだから。
 とにかく、みな、おとなしいものだと思ふ。つく/゛\さう思ふ。かうして、今日も、明日も、たゞ時がたつだけで同じことなのかもしれない。しかしまた、あと、四五年後ち十年、二十年、三十年後ちのことを考へれば、やつぱり、激しい変り様が、顕然として見えてくる。今、生きて、何かと働らいてゐる人々も、大てい故人になつてしまつてゐるだらう。人々の者の考へ方や見方もずゐ分と変つて来てゐるだらう。そして、人の命よりも、そこらに焼け残つてゐる建物の命の方が永久的であることが薄気味悪るくこたへてくるであらう。
 余が昨年のはじめに帰京してから以来のことが種々と思ひ出されてくる。親愛し尊敬する各方面の先輩諸君や友達の身の上におこつた、種々な変化が思ひ出されてくる、余自身の身上のことも考へられぬではないが、それは、あまりに、いはゆる世に伝へられることゝ、余自身とが異つてゐるので弁解する気にもならない。決して隠遁的になるわけではないが、かうして現代の国家と社会のカラクリが見えすいて来ては、もつと見えすかないもの、無限なるもの、底の知れないもの、――宇宙的なものとの交通に没頭したくなる。二三日前の「日日」に、何かまたへんな記事が出てゐたさうだが、要するにそれは一向に、かく存在しつつある島田のニユースではないのである。自分は、狂人にもならないし、行衛不明にもならない。毎度申すごとく、さうあつてほしいと考へるものがゐる丈けのことなのだらう。
 昨日一寸書店の店頭で本誌をひらいて読んでみたが、文壇の内閣番附けなど、軽ろいユーモアとして面白い。おかしな閑人もゐるものである。どこかで子供達のさわぐ声がする。雨も小止みになつたか雨滴の音が、又なくなつかしい。何んだか、かうしてゐると、東京は自分にとつての故郷であることが、しみ/゛\感じられる。一種の哀愁を感じる。その哀愁を言葉に言ひ現はすことはむづかしいが。
 話は別になるが、自分は可なりに大食で、且つ、西洋の酒なら可なり飲める。どうも自分の日常生活のレベルと他人の日常生活のレベルとは、生れつき的に異つてゐるらしい。少くとも二人前位は食べないと気持があたり前でないこの生理的特質(?)の自覚が自分にある種の決心を躊躇させることがあるのだから、やりきれない。クレオパトラの鼻が欠けてゐたら、といふバーナード・ショー君の警句は決して単に警句ではない。さういふやうなことはザラにあることである。
 とにかく、自分は可なりに壮大な理想ももつてゐるし、それに関する現実的認識も可なりに広大に、深く進歩しつつあることは、かくしはしないが、しかし、自分は決して妄想によつて動いたり、考へたりしてゐるものでないことも亦断言してよろしい。
 英国あたりで何かの見物にでも婦人連れで行かうものなら'Wonderful'の連発をきかされる。自分は今、静かな雨滴の音をききつゝ自分は出生してから今日までとにかく、わりに'Wonderful'な生活を生活しつゝあることをうれしく思はずにゐられない。
 何かしらんが、この島田を絶大なる何ものかゞ守つてゐるやうだ。自分はその大きなもの――社会、世界、宇宙――に守られつゝ、宇宙の力を養分として自分の授かつて来た高貴なるものと共に生長してゆく。
 こゝまで書いてゐると、宿屋で勘定書きを持つて来た。Busineslike といふことを考へてみる。シカゴで、世界一番大仕掛なといふ家畜の屠殺場をみたことがあるが、そこの入口をはひる時にはつながれてゐた動物が、出口へ来るまでに、バタになつたり、乾酪になつたりしてゐる、センチメントをぬいた器械的な簡単さと明瞭さに、科学的文明の精神を見せつけられ、いろんな言葉で考へさせられたものであつたが、自分は、今少し日本の社会に、もつとハツキリした明瞭な言語なり、申分なり、態度なりを要求したいと思ふ。
 この点では、自分は、飽迄も一切に正々堂々として成長して来てゐるものであつて、何か、後めいたことが自分にあるかのやうに妄想(それこそ妄想である。)する奴は、この自分に対する不敬の点だけでも、死んじまふ可きである。
 伝統的権威は死んだかも知れぬが、しかし、死なざる権威の存在を否定は出来まい。それを否定するものがあればそれは人間以下である。が、人間以下のものに、今、何かを書いてゐるのではないから、このことは止めよう。
 子供達が、戸外で四ツん這ひになつて遊んで居る。悪るい趣味である。止めたがよからうに、と思ふが、黙つてゐる。雨がまたしめやかに降つてゐる。
 フエビアン、ソサイテイのことや、P.E.N.クラブのことなど書いてもいゝのだが、別の機会にゆづらう。かういふしめやかな日に、一人で、静かにしてゐるのもいゝが、心合ふた佳人と欄にもたれて、薄曇りの空を眺めて、薄茶など啜つて話してゐたら、さぞよろしからうと、前とは矛盾するが、別な意味で思ふ。同じ意味で、自分は今、しみ/゛\と美しい、涙ぐまれるやうな小説を一つ、美しいさし絵入りで書いてみたいと思つてゐる。
「君はあんなに美しいさし絵入りの美しい小説を書いたぢやないか。」かう誰れかゞ言ふかもしれない。さういふ人に対しては、自分は、言葉の言ひ方でごまかしてくれるな、自分が今、言ふことは、つまり、筆で言語をもつて表はす Fiction のことであると、平凡な常識をもつて答へるだけのことである。最近、世に流布される現実的事実と理想とに言語の錯雑は甚しいものがあるらしく、世をあげて妄迷する原始的暗示にかゝつてゐるやうであるが、世間がさうであることに差支へはないが、かく申す余輩はさういふお仲間入りはちと困るのである。
底本:「文藝春秋」大正13年7月号

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