旅の歌
島田清次郎

どうせお互に人間のこと、いつそ二世も三世も地獄までもと約束せよ。

約束をしたるその夜のうれしさは、はじめて見たる恋ひ女かな。

その夜さの熱き思ひを抱きしめ、はてしらぬ旅路別れゆくかな。

さやうなら、縁があつたら又逢はう、一生会はぬとも約束は反古にせず。

そんなことではあなた女に嫌はれますよと、年十七の娘はのたまふ。

かにかくにあくびを一つしたあとの、くつろぎ心に林檎をたべる。

今日もまた、波の音に明け波の音に、暮れてゆくのか鵠沼の海。

鵠沼は淋しい海辺松風と、波の音ばかり訪ふ人もなし。

キリストのマグダレアのマリアとは、よい仲ぢやそな、うらやましやな。

かくにかくにマリア一人に信じられ、死んで行つたか淋しい男よ。

さりながらマリア一人の涙こそ、淋しい男の本望だつたろ。

マリアよ出でよ、今、日の本の清次郎に、一人のマリアのないといふわけはなし。

思ふこと、やつて見たいと念じつゝ、今日も一日を空しくくらす。

ある時は我に一萬の兵あらばと、天を仰いでほゝゑみもする。

一人ゐて一人ねる夜の安らかさは、世界は一人のものとも思ふ。

空は夕やけ己れは縁側で、新しいバナヽを食べる春の夕かな。

女共よ嫌ふならきらへと囁けば、いゝえ、わたし丈は、とさゝやきかへす。

窓からは同じい谷の川水が、清く美しく流れて止まず。

約束をした男は今東京に、ゐると女はさゝやきあかす。

そんならば俺とも一つ約束を、せよとし云へばためいきをつく。

白虎隊の悲しい歌に泣かされて、その夜一しほ女恋ひしも。
底本:『勝利を前にして』(改造社)大正11年3月刊

トップに戻る