社会主義同盟に加入した理由
島田清次郎
旅行中で、九月十八日附のお手紙は本夕やうやく読了。お返事がおくれた所以である。社会主義同盟加入前後の小生の感想を簡単に申し述ぶれば左の如し。
一、私は目下現前のまゝなる社会主義同盟そのものには大した期待を持つてゐない。また、持つ方が間違つてゐると思ふ。このことは正しく見ればそれで分明することである。同盟が成立したからといつて、我国に於ける社会主義そのものゝの内容、実力が別にどう変つたと云ふわけではないからだ。たゞ、麻生、赤松その他壮年有為の諸君が態度を明らかにしたこと、数年来の同主義者の一種の総勘定をやつたこと、旧来の種々の歴史をもつ人々が表面引退して、新しき気分がほのみえたことなどは今後の同主義運動のためによいことであらうと考へる。今日只今にはかにどうかなるものとは考へない。どうかなればそれに越したことはないが。
一、私が名前を出したのは、「社会主義」と云ふ一つの大義名分へ敬意を表しての行為である。「社会主義」の名の下に幾百千の優秀なる人類がその一生の血をそゝぎつくした、その血に対する哀悼と敬意の念を表現せんがためにである。この同盟によつて、積極的にどうこうしようとは思はない。(積極的な道は、私には私一個の経綸がある。)「社会主義」と「社会主義者」とは別物である。私の加入の動機は主観的に云へば積極的であるが、客観的に見れば、極めて消極的である。今後どうなるかは分らない。
一、これで私の立場が明らかになつたことゝ考へる。私は、社会主義を、(マルクス派よりヴルセエビイキ、ギルドソーシヤリズムまで一切の流派を抱合して――それぞれの流派はそれぞれの国家民族の差異であると考へる。)私の思想系統中に於ける一つの経綸とみてゐる。社会主義は、私にあつては、全体でなくて部分である。有機的部分である。
右お答へまで。
底本:「人間」大正9年11月号