或る日
島田清次郎
雪の交つた雨が朝から暗く地をうつ、
私の寝てる間に
母は昨夜彼女の一枚の着物(それには彼女の去つた青春のゆめが匂つてゐた)を典物した金で
米を一斗買つて来た
飯がふきあがると
母は私を目覚ました、
一杯の味噌汁にそへて飯をくふ――
母はじつと見てゐる、どれ程見ても飽きないと云ふやうに!

私は長い長い創作にかゝつてゐる
ふと筆を止めると――もう点一つも書けなくなつた
雪がしきりに降る
私の頭に迷ひが群がる
暗く息づまる過去、
血塗れの現在、
まつくらな未来!
米一粒ない未来!
(ほおつ)と溜息が一つ私の迷ひの群にふりかゝる
母が泣いてゐる、
あゝ地獄だ!

夜が絶望といつしよにやつて来た
母は風呂へ逃げた、
私は妄想を追つぱらひ
悪鬼と組打ちし、
けれども失望した私の霊は
たうとう負けてしまつたのか?!
恐ろしくも霊のうめき(、、、)の上へ
手淫の白い粘液をぬりたくつた!
(汝の創作は?)
(汝の信念は?)
(汝の光は?)
消滅してない!
みな亡びた、みな燃えてしまつた、
地獄の底に私はもだえる、

ランプの灯は赤暗い
私は地獄の底にどつかと尻をすゑた
(汝、速かに創作にかゝれ!)
幾枚かの原稿紙が惨めにもさかれる

母がかへつてきた、
R-R-R-R-R……………
私は母をどなる
母はをぢをぢと床に入つたが
やがてうとうとと寝入つて行く
痩せこけた骨にひつついた薄い皮膚には
私の罪業の刻印が
悪魔の浮ぼりのやうだ!
(母よ、私の母よ!)
私の心は動揺(ゆら)
私は苦しみ
私は悲鳴をあげ
あゝ天地の間に迷ひ彷徨ふ!
底本:『石川近代文学全集16 近代詩』
初出:「精神界」大正6年7月号

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