在米XYZ氏より

 日本及日本人記者足下。貴誌の文芸記事に島田清次郎の倫敦に於ける英国諸文豪との会宴の記事があつたが、あれは自分から倫敦滞留中にも、同胞間の驚異であつたのだ。
 あの島田の馬鹿が――どうして。あの新聞記事を読んだ時、同胞の誰れもの口より迸つた言葉であつた。
 勿論、駒井氏の斡旋の労に依つたのだが、それには隠れたる島田を助けた否かつぎ上げたものがあつた。
 太平洋航海中、米国旅行中に於ける非常識阿呆振りは島田が倫敦着以前に倫敦同胞間の一つ話となつて居たので、彼れが倫敦へ来ても誰一人相手にするものがなかつたのだ。
 それを拾ひ上げ、一切の世話面倒を見て、駒井君を引合せてあの会合までやらせたのは、一片の紹介状を受取つた東京の実業家に選ばれ米国より英国に来り、ヨークシヤの工場で職工となつて研究をして居る一青年であつたのだ。
 自分はその青年を一度倫敦の日本人倶楽部で見かけたが、惜しいかなその姓名を逸した。日本人としては立派な体躯で、眼光の鋭い意志の鞏固な、而して相手に快感を与へる純英国式の応待振りが今迄もその印象として残つて居る。
 自分はいつも、新聞紙や雑誌に現はれ来る、政治経済学術等の総ての出来事や、洪瀾の影には隠れたる大きな力が動いて居るのを想ふ。
 島田と云ふ馬鹿者の一些事に過ぎぬが、隠れた力として思ふ時にヨークシヤの工場であの青年が、油服を着てコツ/\と働いて居る姿を眼前に髣髴せざるを得ない。
底本:「日本及日本人」大正11年12月1日号

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