文芸雑事
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ロンドンに到着した日本の青年小説家島田清次郎君は、曩には日本人クラブに英首相ロイド・ジヨージを招待して、一夕の交歓を尽し、今度は詩人駒井権之助君の紹介で有名な文学者エツチ・ジー・ウヱルズに会つた、その会見に就いて当の島田君の拡げ立てた大風呂敷と、向ふの記者の日本の事情に関する無知とが妙にこんがらかつて、外字新聞がどれもこれも一読したゞけで噴き出したくなりさうな記事を作つて居る、左に見本を一つ御覧に入れて置かう。
昨日ロンドンで最も幸福だつた人は、悧巧さうな若い日本の小説家島田清次郎であつた、何故なら彼は全く単独で、エツチ・ジー・ウエルズと会ふことが出来たからである、島田はウエルズとゴルズウオシーとを日本語に翻訳したがつてゐる、彼はこれまで小説を十二書いてゐる、さうして最後に出した単行本は既に十万部を売り尽したと云ふ。
一見、子供としか見えない島田が、日本の詩人駒井権之助が主催で、カヴエンデイツシユ・スクエヤの日本人クラブに開いた午餐会で、ウエルズに会つた。
フランスには、聡明な人間だけが単純な気持を知るといふ言ひ草がある、たぶんこれはエツチ・ジー・ウエルズが、各々の客の前に奇体な美術的な皿の配られたとき、それに対して殆んど子供らしい歓びを見出した、その場合の気持を説明するものであらう、ウエルズも隣席のハンガリヤ人も、どちらも箸の使ひ方を知らなかつた、けれども駒井が根気よく教へたので、流石に有名な英国の小説家もつい釣り込まれて、変梃な木の道具で蓮根をつまむのに夢中だつた。
御馳走の中で一つ、綺麗な椀に盛られ、上側にはどろどろした煮汁がかゝり中に色々な味の付いた肉と少量の野菜のはいつたものがあつた。
「これは私のモスカウだらう」(これなら私にも喰へさうだの意)と云つて、ウエルズは笑つた、次ぎに酒の入つた小さな盃を取上げて、彼は言つた「けれど、これは私のウオータールーだらう」(これはとてもいけない、私には閉口だの意)と。
客は一同笑つた、若い島田には其の洒落が分らなかつた、けれど彼も亦笑つた。彼の大きな瞳――あまり勉強し過ぎたので眼鏡をかけてゐた――は、日本がウオシントン会議以来、屡々耳にした人物の上に、熱心に向けられた。
会食の済む頃、駒井は日本の小説家を呼んで演説をさせた、青年は玄人と同じくキモノを着てゐたが、いら/\しながら立ち上つた、彼は自分の英語を使ふことを恥かしがつた。而してとゞのつまり、国語で話すことになつた。
彼の話は駒井以外の誰にも分らなかつた。が、太い単調な声は感情に震えてゐた、その中から時々「インターナシヨナル」といふ言葉が耳に入るので、話し手の顔を覗いてみると、この若い東洋人は彼の夢、即ち東西を接触せしめようとするそれの実現を、楽しんでゐるかの如く受取れた。
若い島田の顔が恍惚とした笑ひに拡がつた時、ウエルズは起つて話をした。
ウエルズの静かな早口は、彼の男らしい文章と較べて、不思議な対照をなす、彼は日本の思想の変つたことを話した、彼は新聞記者としてウオシントンに行くまで、日本を今なほ軍閥主義の好戦国と思つてゐたが、それの全く誤りであつたことを告げ、科学と文芸との進歩は日本のために欣ぶべきであるけれども、それと同時に日本の国民性の失はれないやうに希望すると述べた。
「国民の服装と食物と箸とが」と、ウエルズは言つた、「日本から離することの出来ないのは、丁度ロースト・ビーフがヨークシヤから、プデイングが英国から離せないのと同じことである」と。
次いでオールド・ベーレイの助役チヤンプネス君が、一同に代つて謝辞を舒べ生れて三週間目の駒井の娘「鞠子」のために、一同乾盃するから此の席に連れて来るやうにと云つたものだから、駒井はひどく満足したらしかつた、一同は小さな酒の盃を挙げて、赤ン坊のために乾した、駒井は「子」は「球」を意味し、彼がテニスを好むところから娘に「鞠子」と名づけたのだと説明した。
終りに、召使ひが紙の封筒に箸を入れて、記念品として各々の客に配つた。
「おもての文字はどんな意味ですか」と、誰やらが質問を放つた、「防腐完全衛生お箸」と、駒井が翻訳したので、一同笑はされた。
花と、キモノと、蓮根と箸とから、風の強い八月の夕ぐれに、寒いロンドンの大通りへ出ると、それはまた奇妙な対照であつた。
何はともあれ、日本を出発する際に、二十円の会費で文壇知名士一百名を赤坂の錦水に召集し、豪奢の限りを尽した送別の宴を張らうと企てた島田清次郎君がその晩すつかり的が外れてたつた二人の友人を獲たに過ぎなかつたに引換へ、かういゝ気持に納り返へるとは、ロンドンこそ世界中で住み心地のいゝ国だと、帰つて来て言ふかどうか。
底本:「日本及日本人」大正11年10月1日号