読売新聞大正12年4月15日号

合意か、暴力か 島清事件を医者語る(令嬢を診断した鮫島医師)頬や手の傷痕を見て抵抗を裏書してゐる
嶋田清次郎対某海軍少将令嬢の事件は果して監禁であるか、或は又合意の上であるかといふことに関して、その間に可成り疑問の点があつて問題になつてゐる。このことに関して同人を診察した麻布笄町の鮫島医師は語る。
『私がみたのは十三日の晩だが、左右の手の甲に強くツネられた痕らしい紫色のあざが数箇所、この大きさは葉山警察で計つてあつたさうだが、何れも可成り大きいもので、その他には左の頬に二本指で打たれたらしい赤くはれ上つた痕が一箇所、おまけに右の肩や背中なども滅多打ちに合つたらしい形跡があり、当人も痛い痛いといつてゐたし、顔面も一体にはれ上つてゐたやうだ。勿論これ等はこと/゛\く島田の為に蒙つたものらしく思はれる――今度の事件の真相に関しては種々な説が立つてゐるやうだが、当人同志の気持は誰も知らないのだから如何様にも推測することが出来やう。然し私は当人を診察した医師としての立場からいふならば、これ等のあざなり傷なりは抵抗した為に蒙つたものと推測するのが当然で、若し合意の上の出来事ならこんなヒドイ目に遭ふ道理がないやうに思はれる。新聞に伝へられるところによると、逗子で二人が睦じく連立つて海岸を散歩したなどゝいふことがある、それなどもおそらくは島田が無理に連れ出したことゝ思はれる。現に当人の話では家を出て以来ツイぞ島田がすゝめても少しも物を食べず十三日の晩家へ帰つて始めてのり巻を一本だけ食べたといふくらゐだ。然し幸に負傷は単にそれだけで内臓の方には少しも故障がないから数日間安静にしておいたら恢復するだらう。』
洋行前にも女を苦しめ 逃げられた島田清次郎
【金沢特電】島田清次郎の問題が各新聞に発表さるゝや同氏の実母(五二)は一切面会を避けて一室に閉ぢ籠り打ちしをれてゐるが同人は洋行する前にも金沢の家で山形市出身の女(一九)と同棲してゐたが、同女は同人の小説『地上』に憧れ自分から同棲を求めたものであつたが男の残虐に堪へかねて同氏が洋行する少し以前無断逃走したものだといふ。
底本:読売新聞大正12年4月15日号

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