読売新聞大正12年4月14日号

島田清次郎氏が監禁の罪で葉山から拘引さる 某名家の令嬢を誘拐して
【横浜電話】昨秋洋行を終つて帰朝した創作家島田清次郎(二五)氏は去八日相州逗子町桜山旅館養神亭に来て静養旁々(かたがた)創作に耽つたが十日午後二時四十九分発列車で帰京のため逗子駅発列車を待ち合せた。折柄同駅は摂政殿下葉山から御帰京のため駅の内外は警官、憲兵の大警戒を加へてゐた際突如、横浜寿署刑事は同氏の姿を見るや否やウムをいはせず自動車で葉山署に護送し渡辺署長より厳重な取調べを受けたが遂に十三日午前十一時廿六分逗子駅発上り列車で横浜地方裁判所検事局に送られ強盗監禁脅迫の罪名の下に検事廷で西村検事から厳重な取調べを受けて居るが罪状明瞭の為め収監さるゝ模様である。事件は某名家の令嬢を逗子の養神亭に連れ込んで脅迫監禁し其の所持金を奪つたのである。
色情狂の様な振舞 文壇の誇大妄想狂
 島田氏が欧米巡遊の度に出たのは昨年五月三日で先づ米国に向つたが乗船の大洋丸では乗客の大使館附森島氏夫人高子さんにキツスを強要して事務長から譴責され、ロンドンでは島田氏の所謂花形女優ミス・マーガレツト嬢に現を抜かした。帰朝して府下代々木富ヶ谷に一戸を構へてゐた氏は金沢市生れの今年廿五で、金沢中学を卒業し後東京明治学院に学び、英、仏、米その他欧州各国を巡遊し、昨秋帰朝した。その処女作長篇小説『地上』は生田長江、堺枯川両氏の激賞するところとなり文名上つたが人間としての氏には生田、堺両氏も好意を持つてゐない。氏には外に創作集『大望』戯曲『帝王者』感想集『早春』などがあり帰朝後『我れ世に勝てり』を発表した。文壇では誇大妄想狂の名がある。
女から現金を強奪 一尺八寸余の短刀を所持す
 十三日午後から横浜地方裁判所の西村検事は二階応接間に於て、午前十時葉山署から強盗犯人として護送された天才島田清次郎は午後六時まで峻厳な取調べを受けた。当日島田は白ツぽい夏インバに鼠色の中折帽を冠り駒下駄に大きい鞄をかゝへて縁なし眼鏡から底力のある目を覗かしてゐた。両人は前日来逗子の養神亭ホテルに東京市京橋区大鋸町十一弁護士矢代兼広(三二)同人妻貞子(二一)と詐称して宿泊してゐたが、その挙動に不審の点多く、葉山署の刑事が聞き訊すと女は男のために現金十五円を強奪されたことを申立てたので葉山署から横浜地方裁判所検事局に護送されたので検事局での島田は「両人は結婚するまでになつてゐるので逗子の別荘に在る徳富蘇峰氏にお願ひして両人のために媒介の労をお願ひに来た」と申立てたとのことであるが、彼は一尺八寸の白鞘短刀を所持してゐた。
女中に五十円をまく豪遊振り
【逗子電話】養神亭では語る「島田さんは外国から帰朝されてから一度泊つたことがあり次で去八日午後二時頃に来られた、そして海を見晴らす奥座敷に旅装をとき翌九日徳富蘇峰先生を訪問されたと聞きました。滞在中はよく散歩され、晩餐には女中を対手にビール二三本を上つて御機嫌は頗るよかつた、それに勘定の時には女中に五十円といふ大金を下すつた程でした。そんな大それた刑事問題なんては夢にも想ひませんネ」
島田氏釈放
 島田氏は横浜検事局で一応取調べの上、被害者側からの告訴が無いので一時釈放され昨夜帰京した。
底本:読売新聞大正12年4月14日号

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