「地上」に就いて
生田長江

 島田清次郎君の「地上」には、はじめ私が序文を添へて出版させる筈だつた。けれども、私の無精からでなく、それを止めることに考へ直した。
 第一には、そんな事をするにも及ぶまい。これだけの作品が、結局世間の視聴を聳道しないですむ筈はないと思つたからである。
 第二には、序文といふものの十中八九までが茶らつぽこの、御座なり文句であると思はれて居り、また実際それに近い物である。今日に於て、なまなかな推奨的序文を書くなぞは、却つて不利益を招致することになるかも知れないと思つたからである。
 しかしながら私は今、あの作品を世間へ紹介する為めにでなくとも、あれが書物になつて出たことの悦びと、その悦びを与へてくれた出版社佐藤義亮氏に対する感謝とを表白する為めばかりにでも、何かしら書かずにはゐられないやうな気持がする。
 「地上」の作者は、友人伊藤證信君の紹介状と五百何十枚の長篇原稿とを携へて、一日飄然私の内の玄関さきへ立ち現はれて以来「どうか読んでくれ」と言ひ、「まだ読んでくれぬか」と言ひ、「読んでくれなれければ焼き棄ててしまふ」とまで言つて、無慮二十回近くも私のところへやつて来た。
 私が好意からといふよりも、寧ろ根負けして遂に読まされたのであることは、わざわざ断るまでもなからう。
 けれども、「地上」の読者諸君が殆んど例外なく経験するであらう如く、私もあれを読みはじめると中途で休むことが出来なかつた。其日十時間近くのプログラムを滅茶苦茶にして、文字通り一気によんでしまつた。
 そして読むまでは、あんな長い原稿を無理矢理読まされるのを、明白なる被害であると感じてゐた私も、読み了つた後では、これを何等かの方法によつて世間へ紹介するのが、私の義務である、愉快なる義務であるとまで思つた。
 恐らくは、私より以上に横着な人でも、島田君の熱心には根負けせずにゐなかつたであらう。根負けしてでも読んだならば、私より以上に鑑賞眼のない人でも、あの作品の異常なる魅力を、承認せずにはゐなかつたであらう。またそれを承認したならば、私より以上に不親切な人でも、いづれかの方面へ一応の紹介をして見る位の、労を惜しみはしなかつたであらう。
 加之(のみならず)、無名作家のしかも長篇小説なぞが、容易に刊行されるものでないことを、知り過ぎるほど知つてゐる私は、新潮社の御主人に対しても「兎に角御一読を」乞ふて見たに過ぎない。
 佐藤氏を動かして、遂に「地上」刊行の引受けを決心さしたものは私の推奨よりも懇願よりも、氏自らの鑑賞批判であつた。これまでにも折々証拠立てられた如く、眼前の小営利を度外に置くことの出来る、氏の酔興であり、出版業者としての氏の良心であつた。
 私は特に此一事を大書して、佐藤氏に発見された島田君の幸運なる門出を賀すると共に、()の有望な一鉱脈を掘りあてた、佐藤氏の慧眼と、勇気と、そして文壇への貢献とを、(あまね)く、長く伝へて置きたいものだと思ふ。
 作品其物の価値に関する手短かな紹介及び批評としては、近頃稀に見る、正直とまじめとを極めたあの(、、)広告文の大体に裏書きして、この重要な両三ヶ所を、ここへ引用し反復するより以上に、気の利いた方法もなささうである。
 広告に曰く、「今にして思へば、十数年来のさまざまな名に呼ばれた流派や、主義や、傾向なぞの、総ての一生懸命な奮闘努力が、殆ど、この清冽なる噴泉の為めの開鑿であり、此力強き芽生えの為めの播種であつたかの観がある」と。
 げに「地上」に見えたる萌芽より云へば、そこにはバルザック、フロオベエルの描写が、生活否定があり、ドストイエフスキイ、トルストイの主張が、生活肯定があり、ブルゼエの心理学があり、ゾラの社会学があり、そのほかのなに(、、)がありかに(、、)があり、殆んどないものがないのである。
 再び広告に曰く、「殊に驚異すべきは、生れて僅に二十歳の年少作家の、この遺憾なくロマンティックであると共に、より遺憾なくリアリスティックであるところの製作に於て、神聖なるその「若々しさ」と殆んど不可思議なるこの「老成」とが、互に何等の相妨ぐるところなく、自然に幸福に手をつなぎあつて来てゐることである」と。
 げに、本当のロマンティシジムと本当のリアリズムとが、決して別々な物でないと、また最初からの老成と最終までの若々しさとが聊かも相斥ける物でないことは、此作者島田清次郎君の場合に於て最も痛快に、最もめざましく証拠立てられてゐるのである。
――七月三日――
底本:読売新聞大正8年7月13日

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