SFマガジン2006年12月号
●打海文三
『愚者と愚者(上 野蛮な飢えた神々の叛乱・下 ジェンダー・ファッカー・シスターズ)』(各一五〇〇円/角川書店)
●有川浩
『図書館内乱』(一五〇〇円/メディアワークス)
●西條奈加
『芥子の花 金春屋ゴメス』(一三〇〇円/新潮社)
●眉村卓
『新・異世界分岐点』(一六〇〇円/出版芸術社)
●真純潤
『リリパット・プロジェクト』(一八〇〇円/春風社)
●川端裕人
『てのひらの中の宇宙』(一四〇〇円/角川書店)
今月はどうしたわけか、続編ものの揃い踏み。まず、打海文三
『愚者と愚者(上 野蛮な飢えた神々の叛乱・下 ジェンダー・ファッカー・シスターズ)』(各一五〇〇円/角川書店)は、内戦下の近未来日本を生き抜く少年少女を神話的な筆致で描いた『裸者と裸者(
上・
下)』の続編だ。舞台は応化十六年、無数の武装勢力が乱立する日本。前作の主人公である佐々木海人は三千五百人の孤児部隊を率いる司令官となり、月田椿子は新宿の歓楽街を取り仕切る女の子のマフィア〈パンプキン・ガールズ〉のボスとなっている。武装集団の対立軸となっているのは人種とセクシュアリティ。ゲイへの虐待と差別、ゲイ・ヒロイズムを掲げる武装集団の台頭など、複雑な問題がテーマになっているが、作者はあえて一定の思想に与しようとはせず、家父長制と性的マイノリティへの寛容を矛盾なく併せ持つ海人と、欲望と感性の赴くままに内戦下をパワフルに泳ぎ渡る椿子の両者を通して、果てしない市街戦の果てにうっすらと見える新しい秩序を見通している。
有川浩
『図書館内乱』(一五〇〇円/メディアワークス)は、表現の自由を守るために武装して戦う、自衛隊のような「図書隊」の隊員たちを描いた人気シリーズの第二弾。良化特務機関との武力闘争を描いた前作に続き、今回は図書隊内部の派閥抗争がテーマなのだが、前作よりもさらにキャラクター小説の側面が強くなり、ストーリーの占める割合は低くなっている。登場人物同士の関わりや心理が繊細に描かれていて、小説としてはますますこなれてきたのだけれど、SF的な面白さという点では今ひとつ。
続いて、西條奈加
『芥子の花 金春屋ゴメス』(一三〇〇円/新潮社)は、第十七回ファンタジーノベル大賞を受賞した『
金春屋ゴメス』の続編。北関東から東北にまたがる領土を持ち、十九世紀初頭の江戸を忠実に再現した「江戸国」。今回は、辰五郎やゴメスなど前作でお馴染みの面々が江戸国から流出した阿片の出所を探る物語なのだが、せっかくの魅力的な設定なのに、ちょっと変わった時代小説に終わってしまっているのがSF読みとしては残念。
眉村卓
『新・異世界分岐点』(一六〇〇円/出版芸術社)は、平成元年に出版された『
異世界分岐点』から三篇を選び、新たに新作三篇を追加収録した作品集。先行して出版された長篇『
いいかげんワールド』も、妻の死などの体験を反映した私小説的な作品だったが、本書には、サラリーマンの主人公が若い頃の自分に出会う「夜風の記憶」や、幼いころに過ごした街で不思議な体験をする「エイやん」など、作者自身の経歴をより色濃く反映した、自伝的な短篇が多く集められている。いずれの作品でも幻想は日常と隣り合わせに存在し、主人公は恐れることも耽溺することもなくすべてをあるがままに受け入れる。生活体験を重ねた作者ならではの落ち着きが一風変わった読後感につながっている。
真純潤
『リリパット・プロジェクト』(一八〇〇円/春風社)は、ちょっと風変わりな近未来サスペンス。二〇一八年、養護教諭の大成郁子は、一〇年ほど前から子供の身長が低下しているのに気づく。実はその裏には国家規模のおそるべき計画が……という作品。いくらなんでも無茶すぎる計画なのだが、作者が書きたかったのはむしろ「戦後」という時代を生きた登場人物たちの回想の部分なのだろう。それまでの物語展開をすべて放り出してしまう結末など、小説としては破綻しているが「戦後」を総括するという意味では必然の結末といえるのかもしれない。よくも悪くも書きたいことしか書いていない小説だが、文章は達者でそれなりに読ませる。
最後に、川端裕人
『てのひらの中の宇宙』(一四〇〇円/角川書店)を紹介しておこう。SFというには躊躇するけれど、凡百のSFよりもなおいっそうSFらしさを感じさせる作品をいつも送り届けてくれる稀有な作家が川端裕人。本作もまた、父親と子供の交流を通して、自分という存在が広大な時間と空間の中にいること、そして生と死の間にいることを教えてくれる。初めてSFを読んだ少年時代の、世界が一気に広がるような瑞々しい高揚感を思い出させてくれる作品だ。私たちは、この感覚を体験したいからこそSFを読んでいるのではないだろうか。
(C)風野春樹