SFマガジン2005年4月号
三崎亜記となり町戦争(一四〇〇円/集英社)
朝倉祐弥白の咆哮(一四〇〇円/集英社)
佐藤哲也サラミス(一七〇〇円/早川書房)
浅暮三文悪夢はダブルでやってくる(一四〇〇円/小学館)

 年に何回かこういう月があるものだけれども、今月は国内SFはどういうわけか不作。そのかわり、境界作品に秀作が目立った。SFの手法はすでに文学ジャンル全体に浸透していて、昔ならSFと呼ばれていたような小説が主流文学として流通しているのは今さら驚くほどのことでもないのだけれど、すばる文学賞と、すばる文学新人賞の受賞作が両方ともSFといいうる作品だったのは特筆すべきことなのではないだろうか。

となり町戦争 まず、第十七回すばる文学新人賞受賞作の三崎亜記となり町戦争(一四〇〇円/集英社)は、町役場が公共事業として粛々と遂行する、となり町との戦争を淡々と描いた作品。戦争の気配はどこにも感じられないが、町報の片隅には転出・転入者とともに戦死者数が小さく載っている。役場からの通知に応じて特に考えもなく偵察業務についた主人公は、「戦争のリアルさ」が感じられないままに、いつしか深くとなり町との戦争に関わることになっていく。SFジャンルには筒井康隆+永井豪の伝説的傑作『三丁目が戦争です』をはじめ、『新世紀エヴァンゲリオン』『高機動幻想ガンパレードマーチ』などなど、日常と隣り合わせの不条理な戦争をヴィヴィッドに描いた作品は多く、選考委員の五木寛之や井上ひさしほど手放しで称揚するつもりにはなれないし、ちょっとテーマが直截的に描かれすぎているような気もするのだけれど、SFの手法を用いることにより、目に見えないままに静かに迫ってくる「戦争」の不穏な手ざわりを描き出すことに成功した作品である。香西さん萌え、とかそういう読み方も可。

白の咆哮 続いて、第二十八回すばる文学賞を受賞した朝倉祐弥白の咆哮(一四〇〇円/集英社)もまた、SF的手法を使って現代の日本を描き出した作品である。経済成長の終焉、価値観の消滅。戦後六十年を経て行き詰まり、絶望的な「冬」の時代に入ったこの国。そんな中、踊ることによって個を手放し一体化を希求する〈土踊り〉が北陸地方で始まり、熱狂的な興奮とともに日本中を覆い尽くそうとしていた。一方、九州の山間に百数十名から成る小さなコミューンを作った入植者たちは、最後まで〈土踊り〉を受け入れずに抵抗し続ける。固有名詞のまったく登場しない観念的な物語ではあるが、〈土踊り〉が日本の社会に受け入れられる過程の描写には不気味なまでのリアリティがある。カルト的なふたつの集団を描いているようでいて、実は現代日本を批評的に描いた作品といえる。

サラミス 佐藤哲也サラミス(一七〇〇円/早川書房)は、ヘロドトスの『歴史』で名高いペルシア戦争のクライマックスであるサラミスの海戦を描いた作品。とはいうものの、実のところ戦闘場面はほとんどなく、ひたすらギリシア連合軍内部の会議やら権謀術数やらが延々と続く物語である。繰り返しの妙や人を食ったような大仰な会話など、作者ならではの語りのマジックは健在だが、題材が題材だけに、『イラハイ』や『熱帯』など言葉が自律して暴走していくタイプの作品に比べると、脱線も抑え気味で物足りなさを感じることは否めない。

悪夢はダブルでやってくる 最後に、精力的に作品を発表している浅暮三文の悪夢はダブルでやってくる(一四〇〇円/小学館)。酒のつまみにと買ってきた缶詰を開けたあなた。「ポン」という音とともに、缶詰の中身をまき散らしながら出てきたのは白いターバンを頭に巻いた魔法使い。ひとつだけ望みを叶えてやろう、と魔法使いは言うのだが、あなたは怒り心頭に発して望みなんかいいから部屋を掃除しろ、と命じる。そこに突然ペンギンが現れて呪文を唱えると、あなたは魔法使いと一緒に缶詰の中に閉じこめられてしまう……。実験的な作風とリーダビリティの高さを両立させ、多彩な作品を書き分けて見せる作者だが、今回はコミック・ファンタジー(と、作中で作者自ら述べている)。全編にわたって二人称が使われ、途中で作者自身が登場して主人公とからんだり、各章末尾の引きにも趣向が凝らされていたりするなど、作者らしいユニークな実験的な手法を使いながらも、軽妙なテイストで読ませる。作者のデビュー作『ダブ(エ)ストン街道』が好きだった方にお勧め。


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