SFマガジン2004年4月号
●池上永一
『ぼくのキャノン』(一五二四円/文藝春秋)
●奥泉光
『新・地底旅行』(一九〇〇円/朝日新聞社)
●浅暮三文
『針』(一八〇〇円/早川書房)
●椎名誠
『走る男』(一三〇〇円/朝日新聞社)
まずは先月の積み残しから。池上永一
『ぼくのキャノン』(一五二四円/文藝春秋)は沖縄戦を題材にしたファンタジー。舞台は沖縄の小さな村。戦時中、グスクの上に建造された九六式カノン砲は、今ではキャノン様と呼ばれて崇められ、村の象徴となっている。村を実質的に支配するのは巫女のマカトオバァ。村はオバァのもと、驚くべき復興を遂げたが、村には絶対に知られてはならない秘密があった。作者のトレードマークともいえるパワフルなオバァたちエキセントリックなキャラクターに、スラップスティックとシリアスが渾然一体となったストーリーは健在。ただ、無理な設定を強引に押し切るのが作者の作風ではあるのだけれど、いくらなんでもこの作品の村の「秘密」はちょっと無理がありすぎて後味が悪く感じられてしまう。
奥泉光
『新・地底旅行』(一九〇〇円/朝日新聞社)は、明治末を舞台に、諧謔味に満ちた漱石ばりの文体で描かれる地底探検物語。タイトル通り、ジュール・ヴェルヌの『
地底旅行』の続編ではあるものの、原作を読んでいなくてもまったく問題なく楽しめます。時は明治末、富士山で行方不明になった物理学者の稲峰博士とその令嬢を探すため、挿絵画家の野々村とお調子者の富永丙三郎、稲峰博士の弟子である水島鶏月、そして稲峰家の女中サトの四人は、富士の樹海の洞穴から、勇躍地底探検に旅立つ。語り手の野々村鷺舟は、実は漱石の『吾輩は猫である』にちょっぴり登場している人物。水島鶏月もまた『猫』に登場する物理学者の水島寒月の弟という設定で、苦沙弥先生の名前もちらりと出てくる。四人とも実にしっかりとキャラが立っているのだけれど、特に、偉そうなことを言いながらてんで役に立たない富永のキャラクターが最高におかしい。四人の愉快な珍道中は、後半になると一気に壮大になっていき、『
『吾輩は猫である』殺人事件』や『
鳥類学者のファンタジア』ともリンクして、宇宙的規模のエンディングへと至る。明治時代の語彙で本格SF的なヴィジョンを見せてくれる技量には感服。あとがきでも「楽しく書きました」と書いてあるけれど、それを読まなくても、作者が楽しんで書いていることがよくわかる作品。もちろん読んでいてもめっぽう楽しい。ぜひ続編を!
Jコレクションの最新刊は、浅暮三文
『針』(一八〇〇円/早川書房)。五感シリーズの第四弾で、今回は「触覚」がテーマ。アフリカの密林を切り拓いて建設中のコーヒープラントで、現地作業員が集団失踪する事件が起きる。一方、東京で蜂に刺されたギャルゲー好きの男性は皮膚感覚が異常に亢進。ついには触れることにより、モノ自身の意志を感じ取れるようになる。モノはその機能を発揮したときに彼に快感を伝えるのだ。ひたすら触覚の快楽を求めてさまよう彼は、やがて女性の体を触ることに快楽を感じるようになり、そして最後には……。ハードコアな痴漢小説にして、一種の超能力SFともいえるこの作品、おそらく作者の狙いは、超絶的な触覚を文章の力で表現しようという試みにあり、それは成功していると思うのだけれど、SFとしては、背後に存在する生物「彼」の意図と生態が今ひとつあいまいなのと、触覚描写がひたすら続く物語がやや単調に感じられるのが残念なところ(主人公の行為は確かにインモラルになっていくけれど、SF的にはそれほど暴走してくれないのだ)。できればアフリカの事件と「彼」のパートをもっとふくらませて、三つのストーリーに有機的なつながりを持たせてほしかった。あと、プログラマーの主人公が今時ダイアルアップ接続ってのはご愛敬か。
椎名誠
『走る男』(一三〇〇円/朝日新聞社)は、あるとき突然、大勢の男たちとともにパンツ一枚で走り始めなければならない男……という不条理なシチュエーションから始まる長篇SF。舞台となるのは、最近の多くの日本SFとも共通する、国力を失った近未来日本。奇妙な言葉をしゃべる犬コンちゃんや、樹にメタモルフォーゼした人間で川に浮かんで暮らしているデクなど、いかにも作者らしいへんてこなキャラクターは魅力的だけど、急に打ち切りが決まった少年マンガのような唐突な結末はどうも釈然としません。
(C)風野春樹