SFマガジン2004年2月号
牧野修楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史(一五〇〇円/早川書房)
筒井康隆ヘル(一〇四八円/文藝春秋)
上田早夕里火星ダーク・バラード(一八〇〇円/角川春樹事務所)
宇月原晴明黎明に叛くもの(二四〇〇円/中央公論新社)

楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史 まずは万難を排しても読んでほしいのが、稀代の言葉使い師牧野修の楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史(一五〇〇円/早川書房)。言語、肉体、病などに対する鋭敏な感覚をもとに、めくるめく奇想と妄想をぐっと凝縮した粒ぞろいの短編集である。
 たとえば、中年男の性的妄想が世界を再構築してしまう「インキュバス言語」や、演歌の歴史を「黄金の夜明け」系魔術結社の興亡と重ねてみせた「演歌の黙示録」も凄いが、中でも出色なのが、〈家具人間〉のポー先生と〈闘具〉としてスカウトされた「僕」の旅路を描く「踊るバビロン」。異様なヴィジョンに満ちた世界像もさることながら、肉体的な痛みとともに「物語」を生み出し、闘具として生まれ変わるという設定に舌を巻く。また、「逃げゆく物語の話」は、人の形をとった書物「言語人形(ラングドール)」が普及した世界の物語。ホラーやポルノの言語人形は取り締まられ(文字通り「言葉狩り」である)、言語人形の肉体が傷つけば、物語の欠片が血のようにこぼれ落ちる。言語、世界、身体が不可分のものとして結びついているのが牧野修の世界なのだ。そう考えるとこの短編集に「ヒステリーの歴史」という副題がついている意味もわかってくる。抑圧された言語が肉体的な症状として表れ出たのが、すなわちヒステリーという病なのだから。

ヘル さて言語SFといえば大御所筒井康隆を忘れてはいけない。「地獄とは神の不在なり」といえばテッド・チャンの短篇だけれど、筒井康隆もまた、ヘル(一〇四八円/文藝春秋)で、「神や仏の不在」としての地獄を描いてみせる。ヘルには別に鬼だの悪魔のたぐいはおらず、現世とそれほど変わらない世界の中、現世での情事や暗い欲望やうしろめたい思いが、はじまりもなければおわりもなく、憎しみも苦しみもないままに、ひたすら繰り返される。中盤で歌舞伎役者がヘルの住人になってからは、文章自体も七五調になり、やがては作者お得意のスラップスティックに。言語芸の大家としての余裕すら感じられる作品である。

火星ダーク・バラード 第四回小松左京賞受賞作、上田早夕里火星ダーク・バラード(一八〇〇円/角川春樹事務所)は、今までの小松左京賞作品とはがらりと印象が変わり、娯楽に徹したハードボイルド超能力SF。火星治安管理局員の水島烈は、相棒の神月璃奈らとともに兇悪な連続殺人犯を護送中、襲撃を受けて意識を失う。意識を取り戻した水島は、銃弾を浴びた璃奈の死体を発見する。璃奈殺害の容疑をかけられた水島は、自らの潔白を証明するため、孤立無援のまま個人捜査を開始。やがて事件の真相を知る少女アデリーンと出会う。アデリーンは遺伝子操作により作られた「プログレッシブ」と呼ばれる超人類の一人で、他人の精神と共振することができる「超共感性」の能力を持っていた……。
 刑事もののパターンを借用した物語に新味はないが、登場人物の心理が細やかに描かれているあたりが女性作家らしい。倫理観が現代の地球とさほど変わらないところなど、SF的な認識のゆさぶりには乏しいが、一気に読める軽快なエンタテインメントである。
 アーサー・C・クラークが『楽園の泉』で提唱した、軌道エレベータとフォボスの衝突を避ける、いわゆる「クラーク振動」がクライマックスシーンでうまく使われている。

黎明に叛くもの 宇月原晴明黎明に叛くもの(二四〇〇円/中央公論新社)は、昨年のベストSFで8位を獲得した『聚楽 太閤の錬金窟(グロッタ)』に続く異形の戦国伝奇小説第三弾。信長、秀吉ときたら次は家康? という予想を裏切り、主人公は悪名高き梟雄・松永弾正久秀。信長をアンドロギュヌスにし、聚楽第でホムンクルスを作らせた作者の奇想は健在で、この作品では久秀はペルシャから伝わった暗殺教団の技の伝承者にして傀儡使い。しかも兄弟子は斎藤道三! ただし、前二作に比べると物語性は増したものの、奇想の広がりはいささか弱い。作者は後記で、この作品は司馬遼太郎の『国盗り物語』へのオマージュだと書いているが、確かに、司馬遼太郎が最初期の「ペルシャの幻術師」の頃の伝奇的作風を封印しなかったとしたらこんな長篇を書いたかもしれない、と思わせてくれる作品である。


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