SFマガジン2003年12月号
●古川日出男
『サウンドトラック』(一九九五円/集英社)
●川端裕人
『せちやん―星を聴く人』(一六〇〇円/講談社)
●佐藤哲也
『異国伝』(一五〇〇円/河出書房新社)
●牧野修
『黒娘―アウトサイダー・フィメール』(八〇〇円/講談社ノベルス)
●小林泰三
『目を擦る女』(五八〇円/ハヤカワ文庫JA)
まずは、古川日出男の大作
『サウンドトラック』(一九九五円/集英社)から。六歳で父親からサバイバル術を叩き込まれたトウタ、四歳半で母親に棄てられたヒツジコ。ともに親を喪った二人は小笠原父島で兄妹として育てられ、やがてヒートアイランド現象により熱帯化した二〇〇八年の東京へと上陸する。トウタはアラブ系移民のあふれる神楽坂で外国人の中に溶け込み、ヒツジコは外国人排斥の嵐の吹き荒れる西荻の名門女子校に入学。ヒツジコは見る者のオブセッションを解放するダンスを舞い、やがて彼女の周りにはガールズが集い始める。さらに、場所によって性を使い分ける十四歳のアラブ系の少年/少女レニは、神楽坂の傾斜地に住む「傾斜人」にビデオカメラを武器として戦いを挑む。そして、レニとトウタが出会ったとき、物語はヒートアップし、暴走を始める……。
確かに、荒唐無稽な物語である。冷静に考えれば、たった五年後の東京がこうなっているとはとても考えにくい。しかし古川日出男は、そもそも語ることのできないものを描き出すことを得意とする作家である。『
アラビアの夜の種族』で「読む者を虜にし破滅へと導く書」を現実に描き出した作者は、ときに畳みかけるような、ときには軽薄とも思える饒舌な文体で、ありえるはずのない東京を、まざまざと目の前に現出させるのである。
成長小説のように始まった物語は、しかし後半に行くに従って、読者の想像力を試すかのように疾走を始める。主人公のはずのトウタとヒツジコすら後景に退き、そのかわりに屹立してくるのは神話的空間としての近未来東京。『アラビアの夜の種族』の真の主人公が「迷宮」だったように、この物語の本当の主人公も「東京」そのものなのだ。
続いて、川端裕人
『せちやん―星を聴く人』(一六〇〇円/講談社)は、タイトルから想像がつくとおりSETIをテーマにした小説だけれども、作者の視点はSFプロパーの作家の切り口とは明らかに違う。川端裕人は、科学を特別視せず、あくまで人の営みのひとつとして冷静に描くのである。そこがSF読者には新鮮に映る。
雑木林の奥にパラボラアンテナを設置してひっそりと住んでいた「せちやん」。少年時代、彼に導かれて星に魅せられた主人公は、やがて個人でプラネタリウムを作り、経済界で成功と挫折を経験し、そして再び雑木林へと戻ってくる。主人公の遍歴、そして「せちやん」の半生を通して、作者は、宇宙への夢や希望といった甘い虚飾を剥がしたあとに残る、星に耳を澄ますという営為そのものの意味を問いかける。大作『
竜とわれらの時代』に比べれば小品といってもいい作品だが、これもまた、少年の夢、経済活動、科学技術、自然といった、一見相反するように思える多様なテーマに等分に目を配ることのできる作者にしか書きえない作品だろう。
佐藤哲也
『異国伝』(一五〇〇円/河出書房新社)は、「あ」〜「ん」を頭文字とする四十五の短篇で、四十五の国を描いた掌編集である。中には「絶対の危機」やら「帝国の逆襲」やらどこかで聞いたようなタイトルもあったりするなど、大まじめな語り口で人を食ったとぼけぶりがこの作者らしいところ。どの掌編にも教訓など何一つなく、純粋に語りの快楽に浸れるのがまたすばらしい。
牧野修
『黒娘―アウトサイダー・フィメール』(八〇〇円/講談社ノベルス)は、長身美女アトムと美少女ウランたんが、男たちを惨殺しつつ、女性蔑視主義の秘密結社メガロファロスと戦うという、いかにも牧野修らしく、バイオレンス・アクション。聖書やインド神話まで取り込んで、重い女性差別問題をポップなエンタテインメントに仕上げた手腕はいつもながら見事。
最後に、小林泰三
『目を擦る女』(五八〇円/ハヤカワ文庫JA)は、ホラーSF、ハードSF、ギャグなど多彩な作品が収められた短編集。「未公開実験」の中でセルフツッコミされているように仮想現実ものが多いのが特徴だけれど、さらには社会の健全なる良識を挑発してみせずにはいられないあたりもこの作者らしいところ。今まではジャンル別に編集された短編集が多かった作者だが、さまざまな傾向の作品を収めた本書は、小林泰三のショウケースとしてもお薦めである。
(C)風野春樹