SFマガジン2003年1月号
川端裕人竜とわれらの時代(二〇〇〇円/徳間書店)
瀬名秀明あしたのロボット(一六六七円/文藝春秋)
高野史緒アイオーン(一九〇〇円/早川書房)
川田武乱歩邸土蔵伝奇(七六二円/光文社文庫)

竜とわれらの時代 今月の一押しは、川端裕人竜とわれらの時代(二〇〇〇円/徳間書店)。白亜紀の地層で知られる北陸の小さな村で育った風見兄弟。成長した兄大地はアメリカに渡って古生物学者になり、弟海也は地元に根づいて農業を営む。彼らの故郷の村から世界最大の竜脚類の全身化石が発見されたことにより、静かな里は一躍世界の注目の的になる。さらに、社会派ジャーナリストである彼らの父親忠明、そして竜神様への信仰を守って生活する祖母文ばあ。それぞれに異なった道を歩む風見家の人々を通して描かれるのは、恐竜への素朴な憧れから、発掘の実際、相反する学説の対立(学説の対決場面だけでも、一冊の長篇になりそうなくらいスリリング)、恐竜と村おこし、恐竜とアメリカ、科学と宗教の対立と協調の可能性、不寛容とテロリズム、そして日本的なアニミズムなどなど複雑にからみあったテーマ群。およそ恐竜と現代に生きるわれらをめぐるありとあらゆる要素を一冊の長篇の中に詰め込んだ大作である。
 驚くのは、これほどまでにセンス・オブ・ワンダーあふれる作品でありながら、この作品が「SFではない」こと。科学ノンフィクションでもなく、SFでもなく、最先端の情報と幅広い問題意識に裏づけられた現代小説でしか描けないセンス・オブ・ワンダーが確かにここにある。

あしたのロボット さて、科学の現場を綿密に取材した上で、科学とわれわれとの関係性を広い視点から考察する、という川端裕人と共通する問題意識によって書かれたロボット小説が、瀬名秀明のあしたのロボット(一六六七円/文藝春秋)。作者はロボット研究の現在をしっかりと取材した上で(その成果は『ロボット21世紀』(文春新書)にまとめられている)、近未来のロボット発達史を描いてみせる。
 「ハル」「夏のロボット」「亜希への扉」と過去のSFへのオマージュであるとともに、さりげなく季節名が折り込まれたタイトルの作品で、ロボットとそこに「心」を見出すわれわれとの関係を考察し、最終話「アトムの子」で、アトムのイメージとはかけ離れた現実のロボットへの失望という「冬の時代」から再びの春への希望を描く構成の連作短篇集である。
 ここに描かれているのは、近い未来、私たちの生活の中に入ってくるであろうロボットたちである。SF的ロボットのイメージからすれば失望以外の何者でもない地味な存在ではあるけれど、道具としてのロボットとしてではなく、人間ではない異質な「他者」として確実に私たちの認識を変えるであろう、そんな存在。二一世紀のロボット研究をふまえた上で、これまでSFが閑却しがちだった問題にも丁寧に光を当てた秀作である。

アイオーン かつて『ムジカ・マキーナ』では十九世紀末ウィーンに巨大なクラブを現出させ、『カント・アンジェリコ』では十八世紀ヨーロッパにハッカーを登場させて読者の度肝を抜いてみせた高野史緒。連作長篇アイオーン(一九〇〇円/早川書房)では、人工衛星やコンピュータ、生命工学までが発達していた古代ローマ帝国が核戦争で滅亡して数百年、異端のグノーシス思想が正統キリスト教信仰として力を持っているという異貌の中世ヨーロッパが描かれる。虚実ないまぜの歴史を自在に料理する手腕はますます冴え渡り、大胆かつ巧緻、高尚かつ下世話に歴史とテクノロジーをリミックスしてみせてくれる。
 中世の世界観の中に唐突に差しはさまられる放射能(ラディオ・アクティヴィタス)やら核磁気造影といった概念のミスマッチの面白さにはゾクゾクせずにはいられないのだけれど、後半で公会議を現代の電子掲示板になぞらえた趣向はいささか唐突に思われるし、結末もやや尻すぼみの感を免れないのが残念。

乱歩邸土蔵伝奇 最後に、川田武乱歩邸土蔵伝奇(七六二円/光文社文庫)を紹介しておこう。著者は昭和四九年のハヤカワSFコンテストに「クロマキー・ブルー」で第一席入選した作家で、平成三年の映画『クライシス2050』のノヴェライズ以来ひさびさの新作がこの作品。探偵作家江戸賀乱歩が夢の中で幕末にタイムスリップして坂本竜馬に出会う、という物語なのだけれど、結末で明かされる竜馬暗殺犯の正体には呆然必至の怪作であります。


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