SFマガジン2002年10月号
●林譲治
『ウロボロスの波動』(一六〇〇円/早川書房)
●柾悟郎
『シャドウ・オーキッド』(一八〇〇円/コアマガジン)
●竹本健治
『フォア・フォーズの素数』(一七〇〇円/角川書店)
●東野圭吾
『トキオ』(一八〇〇円/講談社)
今月もまずは、ハヤカワSFシリーズJコレクションの新刊から。
二十二世紀、人類は太陽系に接近したブラックホール・カーリーの軌道を改変し、周囲に巨大な人工降着円盤を建設、さらに火星のテラフォーミングを初めとする太陽系全体の改造に乗り出していた。林譲治
『ウロボロスの波動』(一六〇〇円/早川書房)は、そうした時代を背景に、太陽系の各所を舞台にした本格ハードSFの連作短篇集である。
ブラックホールの軌道改変に人工降着円盤という、それだけで長篇が一冊書けてしまいそうなアイディアが使われていながら、なんとも贅沢なことに、この作品のメインテーマは人工降着円盤そのものにはない。各編で語られるのは、人類と人工知能、人類と異星生物といった、異質な存在同士のディスコミュニケーション。そして、全編を通じて追究されているのは、地球外へ乗り出して行ったAADD(人工降着円盤開発事業団)の人々と地球人との社会体制や価値観の相違、といったきわめて社会学的なテーマなのである。
ハードSFの宿命として細かい設定説明が多く、決して読みやすいとはいえないが、二十二世紀の太陽系世界全体を正面からまるごと描ききった、気宇壮大な傑作である。
柾悟郎の九年ぶりの第二長篇
『シャドウ・オーキッド』(一八〇〇円/コアマガジン)は、アイデンティティの剥奪による支配を描いた寓話的作品。
海に浮かぶ完全寄宿制の閉ざされた教育施設〈海冥学園〉。素行不良を理由にこの学園に送り込まれた中学生の池川雅彦は、転校早々、肛門に「直腸リング」を装着させられる。この学園では何をすればいいのか、どこに行けばいいのかはすべてこの直腸リングによって指示され、少しでも逆らえばリングが広がって激痛が走るのである。しかも寄宿舎は中央の監視塔から常に監視されており、一切のプライバシーは剥奪されている。
さらに、反抗的な生徒は睾丸の切除と女性ホルモン投与により、男でも女でもない存在へと改造される。学園は、生徒たちのジェンダー・アイデンティティを「宙吊り」にすることによって、精神的にも彼らを支配しているのである。
SMや人体改造など過激な描写が多いにも関わらず、作者の筆致はあくまで冷徹。支配−被支配という普遍的なテーマに人体改造というSFならではのアイディアを結びつけ、おぞましくも蠱惑に満ちた世界を創り上げた野心的な作品だ。
竹本健治
『フォア・フォーズの素数』(一七〇〇円/角川書店)は、SF、ミステリ、ホラーなど多彩なジャンルの作品が収められた短篇集だが、全体を通して読むと「凍りついた時間」というひとつのテーマに基づく変奏曲のようにも読める。「蝶の弔い」では少年が時を止めたいと願い、「非時の香の木の実」では青年が止まった時間に裏切られる。「銀の砂時計が止まるまで」では時の止まった惑星に少年がひとり残され、「空白のかたち」は前向性健忘の男の物語……という具合に、さまざまな形で「止まった時間」の甘美さと残酷さを余すところなく描いている。
中でも、表題作「フォア・フォーズの素数」は、数学パズルと少年の心理を重ね合わせた純粋な数学小説として秀逸。これはこの作者にしか書けない逸品だろう。
最後に、東野圭吾
『トキオ』(一八〇〇円/講談社)は、先天性の難病に侵された青年トキオが、死の間際に一九七九年にタイムスリップして若き日の父親に出会う物語。ただし、よくある時間もののように時間を遡った息子の側から語られるのではなく、息子の来訪を受ける父親の視点で全編が語られているのがユニークなところ。恋人に金をせびってはパチンコにつぎこむダメ人間だった主人公が、恋人の失踪、そしてトキオとの出会いによって成長する物語である。
さすがに手だれの作者だけあって、今月取り上げた四冊の中では、もっともリーダビリティが高いのだけれど、この作品は時間SFの手法を使ってはいるものの、中身は完全に普通のサスペンス。SF的設定はあくまで空気のような背景として使われており、SFとしての読みどころは少ない。
(C)風野春樹