SFマガジン2002年5月号
●宇月原晴明
『聚楽 太閤の錬金窟』(二二〇〇円/新潮社)
●山田真美
『夜明けの晩に〈上〉・〈下〉』(各一七〇〇円/幻冬舎)
●岬兄悟・大原まり子編
『SFバカ本 電撃ボンバー篇』(一二〇〇円/メディアファクトリー)
●重松清
『流星ワゴン』(一七〇〇円/講談社)
●吉村萬壱
『クチュクチュバーン』(一二三八円/文藝春秋)
●恩田陸
『図書室の海』(一四〇〇円/新潮社)
半村良が亡くなった。『石の血脈』や『妖星伝』といった傑作群でSFを日本に根づかせた功績はあまりにも大きい。謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて今月はまず、半村良が創始した伝奇SFの後裔ともいえる作品を二作。まず、宇月原晴明
『聚楽 太閤の錬金窟』(二二〇〇円/新潮社)は、前作『
信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』の続編。
秀吉による天下統一から数年、「殺生関白」の異名をとる豊臣秀次は、グノーシス主義者ギョーム・ポステルの協力のもと、聚楽第の内部に巨大な錬金窟を作り上げ、夜ごと異端の秘儀を繰り広げる。ポステルを追うのは、イエズス会の異端審問組織「主の鉄槌」に属する神父ガーゴと、服部党の忍者平六。そして物語の影の主役といえるのは、死んだはずのアンドロギュヌス「信長」。
戦国時代の日本に西洋のグノーシス思想と錬金術を持ち込み、ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レの伝説まで結びつけてしまうという力技(しかもあの“くだん”まで登場!)。前作の硬質な筆致はそのままに、構想はますますスケールアップ。大胆な奇想の限りを尽くした異形の戦国絵巻を堪能できる。
続いて山田真美
『夜明けの晩に〈上〉・〈下〉』(各一七〇〇円/幻冬舎)は東洋と西洋を結ぶ古代史の謎にラブストーリーをからめた伝奇ロマン。構想は雄大だが、サルタヒコ、失われた十部族、キリストの墓、といった、いささか手垢のついた題材の紹介に終わっているのが残念。
快調に刊行を重ねている岬兄悟・大原まり子編
『SFバカ本 電撃ボンバー篇』(一二〇〇円/メディアファクトリー)。佐藤哲也「かにくい」の悪魔めいた少年の造形も秀逸だけれど、なんといってもこの巻は瀬名秀明「SOW狂想曲」に尽きる。SF新人賞選考会で勃発したSF論争の果てを描いたこの作品は、作者がこれまでこだわりつづけてきた「SFとはなにか」というテーマに対する一つの回答ともいえるかもしれない。世界の変革を口にするSFファンたちの保守性を鋭く突いた部分など、SFファンの側も真摯に受け止める必要があるだろう。
『流星ワゴン』(一七〇〇円/講談社)は、今までSFとは縁遠い印象のあった重松清の時間ファンタジー。家庭が崩壊し、職をも失い、もう死んでもいい、と思った三七歳の男が、不思議なワゴン車に乗り、家族の分岐点となった時間を訪れる。たいせつな時間を再体験していくうちに、彼は今まで知らなかった家族の本当の姿に気づかされる。
これは、過去に戻って人生をやり直す物語ではない。人生に「正しい選択」などありはしない。そうではなく、家族を見つめなおし、いま一度自分が立っている場所を確認し、再び歩き始めるための物語なのだ。
内宇宙、外宇宙という言葉が端的に示すように、これまでSFの関心は個人と世界に向けられていて、その中間の家族にはあまり向けられてこなかったように思う。この作品は、SFという手法で家族という「中宇宙」を描いた作品として、強くお薦めしたい。
吉村萬壱
『クチュクチュバーン』(一二三八円/文藝春秋)の表題作は、第九十二回文學界新人賞受賞作。ある日突然すべての人間が異形の怪物へと変形、腹から手が生えてきて蜘蛛状になったり、机と融合したり、巨大化したりしていく様子を淡々と描いた作品である。併録の「人間離れ」は、ある日突然緑色と藍色の生物が大量に宇宙からやってきて、人間が次々と食われていく物語。食われないためには人間離れしなきゃダメだ、というわけで、人々は生物の前で肛門から直腸を引き出したり、人を殺したり、犬になりきったりしてみせる。救いはないし、教訓もない。あるのは徹底した無意味だけ。あらゆる人間性をはぎとった後に残る人間の姿を、バカバカしくも冷徹に描いた作品である。
『図書室の海』(一四〇〇円/新潮社)は、恩田陸初のノンシリーズの短篇集。ただ、収録作には過去の作品のサイドストーリーや、未だ書かれざる作品のプロローグなどが多く、独立した短篇として完結している作品はそれほど多くない。恩田ファン向けのプレゼントといったところだろうか。
(C)風野春樹