終わりなき平和  ジョー・ホールドマン 創元SF文庫

 「終わりなき平和」である。まさに、人類の永遠のテーマにまっこうから挑んだタイトルである。いったい作者はどんな回答を出すのかと期待と不安を半分ずつ感じながら読んだのだが……実のところ、読後感はかなり複雑である。この作品の結末をどうとらえればいいのか、私にはいまだに判断できないでいるのだ。
 まず誰もが考えるのは、すべての人々に物資が行き渡れば、平和が到来するんじゃないか、ということ。本書の世界ではナノ鍛造機という無尽蔵にモノを生み出す魔法が実現しているけれど、それでもまだ平和は訪れていない。それではいったいどうすればいいのか。作者の答えはかなり大胆だ。
 精神医学に、「自我境界」という概念がある。幼児期には自己と宇宙は一体だけど、成長するにつれてだんだんと自己と非自己の境界が生まれてくる。ところが、分裂病などではこの自我境界が弱体化してしまい、「自分の考えは自分の頭の中だけにおさまっていないで、まわり中に広がり、同時に、すべての人々の頭に浮かんでいる」という体験をすることになる。
 本書で描かれるのは、まさにこの自我境界喪失が日常になった世界である。兵士たちは電子的に脳を結合し、基地にいながらにして戦場にいる戦闘ロボットを操る。部隊の中で思考は共有され、部隊は特別な絆で結ばれる。そしてこの技術がやがて世界を変革し、終わりなき平和を導くことになるのだが……。
 しかし、境界が消滅した世界に、人は果たして耐えられるのだろうか。そして耐えられるようになったとして、それはまだ人間といえるのだろうか。「終わりなき平和」が到来するには、人が人ならざるものにならねばならない。これが作者の回答なのだ。
 おそらくこの物語の結末はさまざまな議論を生むだろう。私個人の意見としては、人を殺すことができない新人類の誕生は、三原則に縛られたロボットを思い出させる。結末に訪れるのは、実は洗脳の楽園なのではないだろうか。そして、そこまでしないと訪れない「平和」なるものにいったい価値があるのだろうか。
 作者の真意がどこにあるかはこの際あまり重要ではない。本書は読み終えた後にさまざまなことを考えさせてくれる作品である。そして、本当に優れた小説とはそういうものだろう。

(SFマガジン00年2月号掲載)

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