メモリ

 日曜日なので、エリカさんと一緒に秋葉原へ想い出(メモリ)を買いに行く。
 電気街(エレクトリック・タウン)口で駅を出れば、表通りは歩行者天国になっていて、コンピュータやオーディオ機器の大きな段ボール箱をかかえた人たちがせわしなく行き交っている。けばけばしい電飾の光るショップの店頭では、緑色をした想い出(メモリ)がガラスケースの中で整然と並んでいる。けれども表通りに面した量販店で売られている純正品は、とてもぼくなどに手が届く値段ではなく、自然にぼくらの足はせまくごちゃごちゃしたジャンク屋のひしめく裏通りに向かう。
 ぼくにはI/Oポートが八つしかないので、同時には多くとも八つの想い出しか持つことはできない。もちろんI/Oポート自体を増設することもできるけれど、一ヶ月は見込まなければならないほどの大掛かりな改造になるし、費用も桁違いだ。三十二のポートを持っていて、その全部にメモリを挿入している知り合いもいるが、そんなことができるのは一握りの金(クレジット)持ちだけだ。
 ぼくが今持っている想い出はたったのひとつだけ。初恋の記憶だ。ぼくは中学生の男の子で、同じクラスの女の子を好きになり、授業中には斜め前の席の彼女を見つめ、やっとのことで勇気を振りしぼって映画に誘い、気持ちを打ち明け、そして振られる。ごくごくありふれた、とるに足らない想い出だ。それでも、この想い出にぼくは何百回となくアクセスし、その情景と気持ちの動きを心に刻み込んだ。
 きっと平凡な、どこかの誰かの記憶にすぎないのだろう。認定を受けた記憶士が吹き込んだ想い出ではないから、ところどころ途切れていたり、関係のない記憶がノイズとして混入していたりするが、それはジャンク屋の品だから仕方がない。名の通ったショップで買えばこんなことはないのだろうが、メーカー認定の正規ボードはあまりにも高すぎる。
 偽の想い出を手に入れてなにが楽しい、と、あなたが人間ならば言うだろう。単なる虚しい自己欺瞞にすぎないと。
 もちろん、ぼくたちも想い出が偽物だということくらいわかっている。わかっているけれど、それでもぼくたちには想い出が必要なのだ。想い出がなければ、ぼくたちは生きられない。

 ビルの内部は薄暗く、ひび割れた天井では端の黒ずんだ蛍光燈が瞬きを繰り返している。狭い通路の両側には薄汚れたジャンク屋がひしめき合うように並んでいる。盗聴器、スタンガン、年代物のコンピュータのケースだけ、人工眼球、真空管、ぼくと同じ型のCPU、何に使うのかさっぱり見当のつかない機械まで、ここではありとあらゆる品物が売られていて、それを必要とする客たちを集めている。
 想い出を商う店は、その通路の片隅にある。幅わずか二メートルほどの店先には、数多くの想い出が雑然と並んでいて、その向こうでは若い店員がたったひとり、退屈そうな表情で店番をしている。
 想い出には数えきれないほどの種類がある。プロテニスプレーヤー、登山家、宇宙飛行士の記憶、売り場のすみには殺人者の記憶などというものまである。
 でも、ぼくがほしいのはそんな想い出じゃない。もっとありきたりであたりまえな記憶がほしいのだ。
「これはどう?」
 黒く角ばったチップがぎっしりと並んだ基板はエメラルド色をしていて、それをエリカさんの細く白い指がそっとつまみあげる。
 夏の日の海水浴――と、説明書きが読み取れる。主人公は九歳の少年。
 エリカさんは小首を傾げ、少し不安そうにぼくに尋ねる。
「海水浴って、わかる?」
 海水浴とは何か、ならもちろん知っている。海水浴の歴史について説明することもできるし、海水の組成を詳細に述べることもできる。その意味では、ぼくは海水浴についてよくわかっている。
 だが、ぼくには「海水浴」ということばがエリカさんに与えたはずの懐かしさや、海水浴をする子供たちの心の動きがわからない。推論はできる。だが、それは「想い出」ではない。
「知ってるよ」ぼくは答える。嘘ではないし、ぼくにはこうとしか答えようがない。確かにぼくは海水浴について知っているのだから。

「想い出ってのはね」以前、ふいにエリカさんがポツリと呟いたことがある。「忘れることなのよ」
 そのときのぼくには、エリカさんの云う意味が理解できなかった。
「だから、あなたには想い出は持てない」
 そう云ってエリカさんは、寂しげな黒い瞳でぼくを見つめていた。
「お金をためて、ROMを買えば……」ぼくは云った。
「そうじゃない」エリカさんは首を振った。「そうじゃないわ」

 その基板を手に入れれば、「海水浴」はぼくの想い出になる。そして、どうしてエリカさんがその想い出を手に取ったか、わずかなりとも理解することができるだろう。
「それにしよう」ぼくは答える。
「そんなに簡単に決めちゃうの?」エリカさんは少し驚いたような表情になる。
 ぼくはうなずく。
「きみが気に入ったみたいだから」
 若い店員に想い出を渡し、カードで支払いを済ませる。
 ぼくとエリカさんは、決して想い出を共有することはできない。でも、エリカさんが心を動かした想い出を、こうして少しずつ自分のものにしていけば、いつの日かきっと、わかりあうことができるのではないか、ぼくはそう思う。いつの日かきっと。

 想い出とは、忘れることだ。
 今のぼくには、そのことがよくわかる。
 ぼくは目にしたすべてを記憶し、そしていずれすべてを忘れる。
 想い出はそうじゃない。
 想い出は、決して過去そのものではないのだ。
 記憶の細部が溶け落ちるようにして忘れ去られて核だけが残り、そしてその周りに空想や願望が結晶のように成長していったもの、それが想い出だ。
 ぼくの記憶には核がない。
 何が核で、何がそうでないかを判別すること――人間ならば直観的にできるこの仕事は、ぼくたちの頭脳にとっては手に余る仕事なのだ。
 記憶の核を残すためには、ぼくはすべての記憶の重要度を評価し、そしてその評価値の低いものから順に消去していかなければならない。それはぼくのCPUにとっては、あまりにも時間のかかりすぎる仕事だ。
 だから、ぼくはすべてを記憶し、そしてすべてを忘れる。そうするしかないのだ。

 買い物を終えたぼくらは、近くのドーナツショップに入ってコーヒーを飲む。ぼくたちにも物を食べたり飲んだりすることはできる。ただそれをエネルギーに変換することができないだけだ。
「これ、試してみようか」
 ぼくはパッケージを開けてROMボードを取り出し、そして左胸の辺りにあるスロットに挿入する。アクセスしたとたん、懐かしさが心の中いっぱいに広がる。夏の日のうだるような暑さ。はしゃぐ子供たちの声。パラソルの下の優しい目をした両親。遠い水平線。「遠くへ行くんじゃありませんよ」。水しぶき。海に入った瞬間の、思いがけない水の冷たさ。不思議な昂揚感。
「どう?」エリカさんが訊く。
「ああ、とてもいい」ぼくは微笑む。海水浴というのは、こういうものだったのか。結局のところ、ぼくは海水浴について何もわかってはいなかったのだ。
 こうした想い出を、エリカさんの心は無数にたくわえているのだ。それを思うと眩暈すら感じる。
「きみには、どんな海水浴の想い出がある?」
 エリカさんはにっこりと笑って話し始める。
「五年生の夏休み、友だちと一緒に鎌倉の海に行ったの……」
 エリカさんの声は寄せては返す波のようにぼくの耳に心地よくうち寄せる。
 ぼくはエリカさんの想い出を聴くのが好きだ。エリカさんは想い出を持たないぼくにもよく理解できるように、とてもわかりやすく自分の想い出を話してくれる。エリカさんの話し方はとても上手で、ときにはまるでその想い出を、ぼくも同じように体験したかのような感覚にすらなる。そんなとき、ぼくはとても幸せで満ち足りた気分になる。
 でも、それは錯覚だ。
 ただの錯覚にすぎないのだ。

 エリカさんと一緒に、『ブレードランナー』というずいぶん古いビデオを観たことがある。あれは二年半も前のことだから、もうしばらくたてば消えてしまう記憶なのだが。
 ビデオの中で〈レプリカント〉と名づけられていた人造人間たちは、古い写真を何十枚も集めては、人間としての偽の過去を装い、そればかりか自ら信じ込んでさえいた。
 ぼくたちはあのレプリカントたちと同じなのだ、とぼくは思う。
 もちろんぼくたちに与えられている自由は彼らとは比べものにならないし、ぼくたちは彼らのように狩られてもいない。
 だが、やはりぼくたちは彼らに似ている。
 ぼくたちが造られることになったのは、もとはといえばあの大疫病で労働人口が半減したせいだ。今ではぼくたちはあらゆる分野に進出して人間と同じように生活している。
 ただ足りないものがひとつだけ。それが想い出だった。
 たぶん人間は――いや、あらゆる知的な生命は――確固とした想い出を持っているからこそ、自分を見失うことなく生きていくことができるのだろう。それがないぼくたちの自我は、極めて不安定で壊れやすかった。
 足りないものがあればそこに商売が成り立つのは必然というものだ。本来は各職業用の拡張スロットとして造られたI/Oポートに挿入できる想い出がたちまちのうちに売り出された。
 想い出に餓えていたぼくたちはそれに飛びついた。今では、想い出は人間がぼくたちに提供するほとんど唯一ともいえる大産業になっている。

「いつかふたりでディズニーランドへ行ったときのことを覚えてる? 久しぶりにまた行ってみたいと思わない?」
 すっかり冷えたコーヒーを飲み干して、エリカさんが明るい声を上げる。
 ぼくは云いたくはないのだけれども、こう云うほかはない。
「覚えてないんだ、悪いけど」
 そう答えると、とたんにエリカさんの表情が曇る。やはり云わなければよかった。でもそう思ってももう遅すぎる。
「……ごめんなさい」
「いや、きみが謝らなくてもいいよ」
 エリカさんは沈んだ顔のまま目をそらすと、窓の外、中央通りを流れる車の列に視線を泳がせる。
「もう三年もたったのね」
 そしてため息。

 エリカさんに出逢ったのは四年と二ヶ月前、ぼくが造られて一年ほどたったころのことだ。でも、ぼくはそのときのことを覚えていない。
 出逢いの状況は覚えていないのに、いつ出逢ったのかだけは知っているわけは、一年二ヶ月前、ふたりでその記憶に別れを告げた日のことを覚えているからだ。
 ぼくの記憶は三年間で消去される。
 楽しい記憶も、つらい記憶も、とるに足らない記憶も、大切な記憶も、区別されることなく、三年間たてば消し去られてしまう。
 それはメモリの制限上仕方のないことであり、ぼくたちの頭脳には何が記憶の核で何がそうでないかを判別できない以上、どうしようもないことだ。
 そうやってすべてを一律に消去しなければ、ぼくたちの記憶容量はすぐにいっぱいになってしまう。
 一年二ヶ月前の冬の日、ぼくらはふたりで抱き合いながら出逢いの記憶に別れを告げた。エリカさんはぶるぶると震えていて、目にはいっぱいの涙をためていた。
「本当に忘れちゃうの?」何度も何度も、同じことを訊いた。
 ぼくは答えなかった。
 ぼくは静かに、エリカさんのぬくもりを感じながらそのときを待っていた。
 そしてそのときがきた。
 少しずつ、少しずつ、メモリから出逢いの記憶が抜け落ちて行くのを、ぼくは感じていた。あれほど鮮明だったはずの記憶が、次の瞬間にはもうアクセス不能になっている。じわじわと、しかし着実に、風解する結晶のように、エリカさんとの出逢いはぼくの中から消えていった。
 エリカさんは泣きじゃくっていたが、ぼくは不思議なほど平静だった。これは毎日、あらゆる瞬間にぼくのメモリ内で行われている更新作業にすぎない。たとえそれがエリカさんとの出逢いの記憶であるとしても、ときがたてば記憶が失われるのは当然のことだ。
 今も、ぼくのメモリからは刻々と記憶が消し去られ、新しい記憶にその場所を譲っている。

 何層もの厚いペンキの膜に覆われた鉄橋が、ぼくらの頭上にのしかかるようにして、夕暮れの空を横切っている。轟音を響かせて、アルミニウムの列車が通り過ぎる。
 ぼくらはふたり黙りこくって、行先も決めずどこへともなく歩く。交差点を渡ると坂道が延びている。
 灰色に古び、もう誰も住んでいない建物が立ちならぶ昌平坂を上り、真っ白な聖橋のガードをくぐる。階段を昇って橋の上に出れば、さっきは遥か頭上を横切っていた線路は、いつのまにか崖にへばりつくようにして、眼下低くを走っている。そのさらに下に広がる黒い淀み。
 ぼくらが後にした秋葉原は黒い流れの下流だ。橋の上から遠く眺める電気街は、夕闇に映える巨大なホログラフィとライトアップされた奇妙なオブジェ、原色のネオンサインの瞬き。
 橋の下を地下鉄が通り過ぎる。
「いつまで、こうしていられるのかしら」光あふれる秋葉原を見つめながら、ひとりごとのように、エリカさんはぽつりと云う。
 いつか、終わりが来るのだろうか。
 そしていつか、エリカさんのこともすべて記憶から消えてしまう日が来るのだろうか。
 そんなことはとても想像できない。
 それでも、終わりは必ず来るのだ。
「みんな、あなたは忘れてしまうのね」エリカさんは小さな声で云う。
「今日買い物をしたことも、ディズニーランドへ行ったことも、旅行に行ったことも、映画を観たことも……わたしのことも……みんなみんな、いつかは忘れてしまうのよね」
 ぼくはうつむき、すべてを吸い込んでしまうような、川の流れの黒を見つめる。
「ずるい」
「え?」
「わたしは覚えているのよ。いつまでも。忘れることなんかない。あなたはいつもわたしを置いていってしまう。いつだって、わたしだけが取り残されるのよ。そんなの……」
 ぼくには答えられない。
「ずるい」  もう一度、エリカさんはその言葉を確かめるようにつぶやく。  エリカさんのように、ぼくにも本物の想い出を持てたらと思う。もしそうだとしたら、ぼくは今日のことを、一生忘れないだろう。そしていくら歳を重ねたとしても、エリカさんの表情やしぐさ、声やことばを忘れることはないだろう。
 だが、もちろんそんなことはただの夢でしかない。
 三年後、偶然エリカさんとすれ違ったとしても、ぼくは決して気づくことはない。三年がすぎたぼくは、エリカさんのことを決して思い出しはしない。
 今のぼくと三年後のぼくは、果たして同じぼくなのだろうか。
 出会ったころのぼくのエリカさんへの気持ちと、今の気持ちは、果たして同じだろうか。
 ぼくにはわからない。
 ただひとつ変わらないのが――想い出(メモリ)だ。ぼくは三年前と同じように初恋の想い出にアクセスし、そして三年後も同じように海水浴の想い出にひたるだろう。エリカさんのことは忘れても、誰か見知らぬ他人の海水浴の想い出だけは、ぼくは忘れることはない。想い出は、ぼくが同じぼくであり続けるための、たったひとつの手がかりなのだ。
 エリカさんはうるんだ大きな眼でぼくをじっと見つめる。その黒い瞳の中で、ぼくの顔が揺れている。
 瞳の中のぼくはゆっくりと唇を開き、そして最後の言葉を口にする。

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