三つの小さな王国
スティーヴン・ミルハウザー著 柴田元幸訳 白水社 98/4/30発行 2000円

 スティーヴン・ミルハウザーは、アメリカの現代文学では珍しく、人工的で閉じた世界の魅惑を描きつづけている作家。例えるならエッシャーのだまし絵のような作品を文章で描いているといったらいいだろうか。この作家の描く題材といえば、自動人形、ゲーム、博物館、遊園地といった具合で、一貫してオタク好みの人工物や人工世界にこだわっている。
 私がいちばん好きなのは長篇『エドウィン・マルハウス』(ベネッセ)。これは、12歳で夭折した天才作家(!)の伝記という設定なのだが、伝記作家の方もまた、作家の隣の家に住む12歳の少年。作家が1歳のときに初めて書いた作品なんてのが大まじめに引用されたりしていて、かなり人を喰った話である。物語が進むにつれ、徐々に伝記小説という枠組みが壊れていき、語り手の語りそのものの中に企みが仕掛けられていることがわかってくるのが、ミルハウザー作品の醍醐味。伝記小説のパロディとしても、エンタテインメントとしても非常におもしろい傑作である。

 さて、『三つの小さな王国』は、タイトル通り三つの中篇が収められた中篇集。いかにもミルハウザーらしい作品ばかりで、私は大満足である。
 「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は、手書きアニメーションの製作に執着する1920年代の漫画家の話、「王妃、小人、土牢」は中世の城砦都市で塔に住む王妃の苦悩の物語、そして「展覧会のカタログ――エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」は、カタログ形式で書かれた呪われた画家の物語という具合で、どれも一筋縄ではいかない。
 ミルハウザーの語りのマジックは健在で、「王妃、小人、土牢」は、国王に不義を疑われて苦しむ無実の王妃の物語なのだが、交互に城の中の生活や土牢の様子を想像する町の人々についての記述が語られており、ストーリーが進むにつれて、物語と語り手の関係が徐々に歪みはじめていく。
 「小さな王国」で語られるアニメーションや、「展覧会のカタログ」で語られる画家の絵は、文章で詳しく描写されていて、確かにそれを頭の中で想像することもできるのだが、よく考えてみれば絶対に実際にはありえないという、まさにエッシャーの版画のような世界。そうしたありえないアニメーションや絵画の世界が現実世界と密接にからんでいき、現実までをも人工世界へと取りこんでいくのである。

 ミルハウザーは、私がもっとも偏愛する海外作家だ。
 ミルハウザーの作品は、特にSF的な道具立てを使っているわけではないが、題材の選び方や、現実の断面を描くのではなく、世界そのものを作り出してしまおうという創作姿勢は、どこかSF者の琴線に触れるところがある。
 SFファンには絶対にお薦めの現代作家である。

前に戻るホームに戻る