グッドラック 戦闘妖精 雪風  神林長平 早川書房

 最初、精神科医の私になぜ「雪風」の書評の依頼が、と戸惑っ たのだが、読んでみて納得。ジャムという理解不能な知性とのコ ミュニケーションを描いた本作は、精神医学、特に分裂病を扱う 精神病理学の関心事に近いのである。
 精神分裂病というのは簡単に言えば、自分自身や世界の存在と いった、我々が当然と思っているコードが壊れてしまう現象。こ れを「自然な自明性の喪失」などと呼ぶ精神病理学者もいる。当 然、分裂病者に接触する我々の方は、共有しているはずのコードが通 用しなくなって戸惑うことになる。コードの異なる他者との遭 遇、これはSFで描かれるファーストコンタクトそのものであ る。逆にいえば、異質な知性との遭遇というのは、きわめて精神 病理学的な事態ということになる。
 そう考えれば、本書で、ジャムとのコンタクトに医師が参画し て行動予測を立てているのも別に不思議なことではない(MAc ProIIというプログラムは便利すぎてちょっとずるい気もする けど)。それに、主観的な感想文でもいいから「人間の目を通し た、人間の体験の報告」を書けばいい、と深井大尉が述べるジャ ムとの遭遇報告書の書き方は、まさに精神科でのカルテの書き方 そのものではないか。
 しかし、ジャムはある根本的なところで分裂病患者とは違って いる。その違いを雄弁に示しているのが、エピグラフになってお り、作中でも何度となく語られる「我は、我である」という言葉 である。木村敏は『分裂病の現象学』の中で「常識の自明性を保 証している基本原理は、この1=1という世界公式に他ならない」 と述べている。「1=1」すなわち「我は、我である」という自己 同一性こそが「自然な自明性」の基本原理だというのだ。
 「我は、我である」とジャムが語るとき、それは我々とジャム は世界公式を共有していることを意味する。これはつまり、我々 とジャムとの対話の可能性が開けているということにほかならな い。
 コミュニケーションへの痛ましいまでの絶望を描いた前作に比 べ、本作が緊迫した中にもどこか明るさを感じさせるのは、この 作品が対話への前向きな希望を提示した物語だからだろう。

(SFマガジン99年7月号掲載)

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