週刊読書人2005年12月
●アヴラム・デイヴィッドスン
『どんがらがん』(河出書房新社)
●R・A・ラファティ
『宇宙舟歌』(国書刊行会)
●ロバート・J・ソウヤー
『ハイブリッド――新種――』(ハヤカワ文庫SF)
●柾悟郎
『さまよえる天使』(光文社)
このところの翻訳SF界では、埋もれた逸品や未訳だった名作が次々と刊行されている。ほんの数年前には「SF冬の時代」などと言われていたとは思えないほどの活況で、ファンとしては嬉しい限りだ。そのブームの中心になっている叢書が、河出書房新社の〈奇想コレクション〉と、国書刊行会の〈未来の文学〉。今月はその両叢書からの新刊が出たので、まず紹介しよう。
〈奇想コレクション〉の新刊は、主に一九六〇年代に活躍していたアヴラム・デイヴィッドスンの、日本オリジナル短篇集
『どんがらがん』。編者はデイヴィッドスンの大ファンであるミステリ作家の殊能将之。これまであまり日本では紹介されてこなかったため、難解で通好みというイメージのある作家だが、本書に収められた作品は(一部は別として)決してわかりにくくはない。スラップスティックの傑作「どんがらがん」から、、「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」や「ナイルの水源」のような奇想小説の見本のような作品、「パシャルーニー大尉」のような泣かせる人情話、そして「ナポリ」「尾をつながれた王族」のような、なぜそんな話を思いつくのか不思議としかいいようがない技巧的で奇妙な作品まで、デイヴィッドスンの多彩な作風に触れることができる好短篇集だ。
続いて
『宇宙舟歌』は、R・A・ラファティが一九六八年に刊行した初期長篇。ホメロスの『オデュッセイア』を下敷きに、比類なきロードストラム船長の宇宙を股にかけた冒険を描いた宇宙航海譚なのだが、作者が作者だけに一筋縄ではいかない。巨人たちの住む惑星では、なぜか宙に浮く石板に乗って飛び回る巨人たちと戦う羽目になるし、アステロイド・ベルトの中では「仔牛岩」を捕まえて焼いて食べてしまう。その語り口は、SFというより、むしろアメリカ南部の酔っぱらいおじさんが焚き火を囲んで語るホラ話といった趣き。こんな話を書く作家は、SF界広しといえどほかにはいない。〈未来の文学〉といえば、かの難解で鳴る『ケルベロス第五の首』が出た叢書だが、本書はとても親しみやすく楽しい作品で、ラファティという作家の持ち味を知るには最適の一冊といえよう。
知性を獲得したネアンデルタール人が文明を築いた並行宇宙と人類の宇宙との交流を描いたロバート・J・ソウヤーの〈ネアンデルタール・パララックス〉三部作は
『ハイブリッド――新種――』(ハヤカワ文庫SF)で完結。脳に「宗教機能」を持たず平和主義のネアンデルタール人文明と、「宗教機能」を持ちそれゆえに暴力的な人類文明を対比しながら西欧文明を批判する作者の筆は、ますますヒートアップ。これまで以上に作者の主張が前面に出た作品になっていて、今まで端正で明快なエンタテインメントSFを書いてきた作者にしてはかなり歪な作品になっているのだけど、その歪み方からカナダ人である作者のアメリカへのアンビバレントな思いがかいま見えて面白い。
最後に国内作品を一冊。
『さまよえる天使』(光文社)は、寡作で知られる柾悟郎の三年ぶりの新作。普通人の三百分の一のスピードでしか動けないかわりに通常人の三〇〇倍の寿命を持つ〈静物の人〉たちが登場する連作短篇集。作者の関心は彼らそのものにはなく、むしろ彼らにわずかに触れた、さまざまな立場の人々の人生の断片を鮮やかに切り取ってみせている。いかにも短篇らしい味わいのある、抑制の利いた端正な作品集である。
(C)風野春樹