週刊読書人2005年11月
●グレッグ・イーガン
『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫SF)
●池上永一
『シャングリ・ラ』(角川書店)
●町井登志夫
『血液魚雷』(早川書房)
さて今月はまず、グレッグ・イーガンの
『ディアスポラ』(ハヤカワ文庫SF)を取り上げようと思うのだけれど、これをどう紹介すればいいのかが難しい。決して万人に薦められる小説ではない。ただ、SFという文学形式の可能性に興味を持っている読者には強くお薦めしたい作品なのだ。読みやすい? いいえ。まったく日常とは接点がない上、第一章の出だしからかなり難解なので、ついていけなくなる読者もいるかも。後半になると数学理論の解説や、五次元や十次元の宇宙といったイメージしにくい描写も出てくる。文章が美しい? (一般的には)いいえ。イーガンの文章は明晰だが決して美文ではない。でも、苦労して最後まで読み終えたときの感動――SF小説でしか味わうことのできない感動――は保証する。これぞまさにSFの醍醐味。
人類のほとんどが肉体を捨て、仮想現実都市で暮らすようになった三〇世紀。その都市のひとつでソフトウェアから生まれた孤児ヤチマ。地球から百光年離れた中性子星からのガンマ線バーストが地球環境に深刻な影響を及ぼすことを知ったヤチマは、肉体を持った人々に警告するためロボットの筐体に宿りアトランタに向かう。しかし彼らのほとんどは肉体を捨てることを拒み死を迎える。その後、ガンマ線バーストの謎を解明するため、ある都市が自分自身の千のコピーを宇宙の千の方角へと発進させ、ヤチマもその一員に加わる……。
読者の想像力の限界に挑むかのような挑発的な作品だが、SF好きなら必読、とあえて言っておきたい。
続いて、国内作品の大作を。池上永一
『シャングリ・ラ』(角川書店)は、熱帯雨林と化した東京を舞台とした壮大な神話的物語である。地球温暖化が急速に進んだ近未来、二酸化炭素排出量をベースにした新たな経済システムが構築されていた。人工衛星「イカロス」が全世界を監視し、二酸化炭素を多く排出する国には国連により炭素税が課せられるのである。炭素指数を減らすため東京は巨大な森林となり、裕福な人々だけが「アトラス」と呼ばれる巨大な積層都市に移り住んでいる。熱帯雨林と化した地上は疫病のあふれる危険な土地となり、「アトラス」に移住できない難民であふれかえっている。祖母の跡を継いで地上の反政府ゲリラの首領となった北条國子は、政府との激しい戦いの中で「アトラス」の真の目的に近づいていく……。
ブーメランを操る美少女、驚異の戦闘力を持つ美貌のニューハーフ、十二単に身を包み牛車に乗る少女、感情のない殺人マシーンと化した女医などなど、マンガのキャラのような過剰性を持った登場人物たちが全編にわたって暴れ回る物語はコミカルにして過激。祝祭的な物語の中で、作者はこれまでの近未来小説が避けてきた東京の秘められたタブーに切り込んでいる。
重量級の作品ばかりが並んだので、最後は軽めの作品を。町井登志夫
『血液魚雷』(早川書房)は、血液中を高速で移動する謎の微生物と医師との攻防を描く医学サスペンスSF。血管内の世界をリアルに体感できるカメラ付きカテーテルというガジェットで、『
ミクロの決死圏』の世界を現代に甦らせてみせたアイディアがユニークだ。発想の面白さの割りに、SFとしての飛躍には欠けるのが少し残念だが、手に汗握るサスペンスが楽しめる、肩の凝らない娯楽SFである。
(C)風野春樹