週刊読書人2004年12月
グレッグ・イーガン万物理論(創元SF文庫)
エリザベス・ムーンくらやみの速さはどれくらい(早川書房)
粕谷知世アマゾニア(中央公論新社)

万物理論 史上最高のSF作家は? とSFファンに尋ねたら、さまざまな答えが返ってくるに違いないが、現代最高のSF作家は? という問いに対する答えは、ほぼ一致する。グレッグ・イーガンだ。そのイーガンによる待望の長篇が万物理論(創元SF文庫)である。
 イーガンの小説はつねに、アイデンティティにまつわる、きわめて現代的な問いかけを含んでいるが、この長篇はその集大成といってもいい作品。たとえば第一部だけで、被害者の証言を得るための一時的な死後復活、自らのDNAを改造して新しい生物種となることを目指す人々、性転換が一般化して「汎性」「転男性」「微化女性」といった九種類ものジェンダーがある複雑な社会などなど、数本の小説がゆうに書けるくらいのアイディアがぎっしり詰まっている。
 中でも最も刺激的なのは、主人公が、完全な自閉症になることを望む部分自閉症患者の男性と交わす議論である。「理解できない人に対する、もっとも怠惰で押しつけがましいやり方は何か?」。それはふたつの「Hワード」だと男性は言う。ひとつは「健康(ヘルス)」すなわちその人を治療することであり、もうひとつは「人間性(ヒューマニティ)」の名の下に断罪することだと。イーガンはいつも、私たちがふだん目をそらしている部分へとずばりと切り込んでくる。
 しかも、これでもまだ物語は序の口なのだから恐ろしい。第二部以降では、表題の「万物理論」をめぐる、さらに壮大な奇想が待ちかまえており、第一部の問いかけもふまえた上で、全宇宙規模の圧倒的なヴィジョンが示される。深い思索と驚くべき奇想と壮大な感動と。SFの魅力のすべてがここにある。

くらやみの速さはどれくらい 続いて、二〇〇三年度のネビュラ賞を受賞したエリザベス・ムーンくらやみの速さはどれくらい(早川書房)もまた、イーガンに通じるアイデンティティと人間性にまつわる問題意識に貫かれた作品である。
 近未来、自閉症は幼児のうちに治療すれば治るようになっており、三十五歳のルウは最後の世代の自閉症者である。人の表情や会話のニュアンスを読みとるのは苦手な反面、見えないパターンを見抜くことに長けている彼は、自閉症者のグループを雇用している製薬会社で働いている。しかしあるとき、新任の上司が、彼らに成人してからでも可能な新しい治療法の実験台になるよう命令する。ほぼ全編にわたって、自閉症者ルウの視点から見た世界が繊細な文体で描かれている。私たちが普通だと思っていることが、彼にとっては普通ではない。普通とはいったいどういうことなのか。治療を受けて自閉症でなくなった自分は、果たして自分といえるのか。その問いかけはきわめて重く、結末は複雑な余韻を残す。作者は実際に自閉症の息子を持っており、その経験をもとにしてこの物語を書いたという。今年の収穫のひとつだ。

アマゾニア 最後に、国内作品から一冊。粕谷知世アマゾニア(中央公論新社)は、十六世紀の南米を舞台にしたファンタジー大作。年に一度の宴の夜に周辺の部族の男と交わって子供を作り、産まれた女だけを子孫とする女人族がいた。しかし、アマゾンの上流から流れ着いた飢えたスペイン人が、部族に悲劇と変革をもたらしていく。野卑なスペイン人の男と女人族の対比を通して、作者は性愛、性差、そして生と死をめぐる複雑なテーマを描き出す。濃密な幻想に酔うことのできる力作だ。


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