週刊読書人2004年7月
●ウィリアム・ギブスン
『パターン・レコグニション』(角川書店)
●田中啓文
『蹴りたい田中』(ハヤカワ文庫JA)
●高野史緒
『ラー』(早川書房)
●村崎友
『風の歌、星の口笛』(角川書店)
今月はまず、ウィリアム・ギブスンの四年ぶりの新作
『パターン・レコグニション』(角川書店)から。ネットに流れている〈フッテージ〉と呼ばれる映像ファイル。ストーリーもなく作者も不明だが、きわめて完成度の高い断片的なこの映像の作者を求めて、ロンドン、東京、モスクワと世界中をめぐる主人公の探索の旅を描くサスペンス小説である。一九八四年の『
ニューロマンサー』でサイバーパンク・ブームを巻き起こし、その後の小説や映画に大きな影響を与えたギブスンだが、新作を発表するたびにそのSF度は低くなっていき、この作品ではネットの世界を舞台にはしているものの、時代設定は九・一一の記憶も生々しい二〇〇二年。ついに、SF要素のまったくない純然たる現代小説になってしまった。
しかし、テロ後の世界を背景にネット上の動画をめぐって世界中を飛び回るストーリーは、わずか一〇年前なら(いや、五年前でも)まさにSF以外の何物でもなかったろう。本書の中に、こんなやりとりがある。「われわれに未来がないのは、われわれの現在があまりにも流動的であるからだ」「わたしが知っている歴史の唯一の定数は、変化です。過去は変化します」。過去も、未来も、何一つ確かなものはない、流動的な現在。ギブスンは、デビュー時から変わらぬシャープな文体で、すでにサイバーパンクが日常と化した二一世紀の今を切り取ってみせる。
がらりとかわって、次に紹介するのは田中啓文
『蹴りたい田中』(ハヤカワ文庫JA)。はじめにお断りしておくが、冗談が通じない人、下らないことが嫌いな人は、この本は読まない方がいい。カバーから帯(「第一三〇回(平成一五年度下半期)茶川賞受賞作」)、あとがきに至るまで、ほとんどやりすぎと思えるほどの冗談と駄洒落で埋め尽くされた短篇集なのだ。ともあれ、小松左京の『日本沈没』のパロディとして筒井康隆が「日本以外全部沈没」を書いたように、冗談は日本SFの伝統の一つ。田中啓文は、そんな伝統をしっかりと受け継いだ作家なのだ。そうそう、表題作の「蹴りたい田中」は、某芥川賞受賞作とは、これっぽっちも関係がありませんのであしからず。
続いて、高野史緒
『ラー』(早川書房)は、古代エジプトを舞台にした歴史SF。ピラミッドの謎に魅せられ、自ら発明したタイムマシンでクフ王治世下の古代エジプトへと飛んだジェディが見たものは、純白の石で覆われた大ピラミッドの姿だった。どうやらピラミッドはクフ王が作らせたものではなく、太古からすでに存在し、その工事は数千年前から行われているらしい……。高野史緒といえば、一九世紀ウィーンに巨大ディスコを持ち込んだ『
ムジカ・マキーナ』など、史実とテクノロジーを軽やかにシャッフルしてみせるポップな歴史改変小説で有名だが、この作品では、現代とは異質な古代エジプト人の世界観そのものを淡々とした筆致で描くことにより現代人の価値観を相対化し、ファーストコンタクトものハードSFにも似た効果をあげている。
最後に、村崎友
『風の歌、星の口笛』(角川書店)を紹介しておこう。この作品は第二四回横溝正史ミステリ大賞受賞作だが、実はこれがまっとうなSF長篇。密室トリックは無理があるし、首を傾げるところも多々あるのだけれど、舞台も設定もまったくバラバラの三つのストーリーが結末に至ってひとつに結びつく大胆な仕掛けと、手塚治虫や梶尾真治を思わせるSFならではの情感あふれる結末はなかなか読ませる。
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(C)風野春樹