週刊読書人2004年5月
佐藤亜紀雲雀(文藝春秋)
神林長平麦撃機の飛ぶ空(ヒヨコ舎)
ジェイムズ・P・ブレイロック魔法の眼鏡(ハヤカワ文庫FT)

雲雀 まず、今月のお薦めは、佐藤亜紀の雲雀(文藝春秋)。第一次大戦下のオーストリア=ハンガリー二重帝国を舞台に、心を読み、攻撃する特異な能力を持つエージェントたちの暗躍を描いた作品で、前作『天使』の後日譚および前日譚四篇を収めた連作短篇集である。単なる続編というよりも、『天使』と二冊あわせて主人公ジェルジュの半生とその時代を描いたひとつの作品、と言ったほうがいいかもしれない。佐藤亜紀は、『バルタザールの遍歴』『鏡の影』など西洋史に材を取った奇想小説の多い作家だが、そのスタイルは、まず舞台となる時代や土地などの背景説明に筆を費やしてから物語を語るという一般の歴史小説の筆法とはまったく異なっている。佐藤亜紀の場合、緻密な時代考証に基づいていながらも、物語の流れを損なう背景説明のたぐいは最小限、きわめてストイックなのだ。極限まで切りつめられた文章は取っつきにくくはあるのだけれど、読んでいくにつれ、隅々まで計算されていることがわかるのだ。本書でも、ありがちなSF用語は一切用いずに描かれる特殊な「感覚」の描写が見事。研ぎ澄まされた硬質な文章に圧倒される作品である。

麦撃機の飛ぶ空 続いては、小さな紙箱入りソフトカバーの装丁が愛らしい神林長平麦撃機の飛ぶ空(ヒヨコ舎)。神林長平といえば、SFファンが選出する星雲賞を『戦闘妖精・雪風』や『プリズム』などで計七回受賞している、まさに日本SF界を代表する作家。どちらかといえば長篇型の作家だが、この本は八〇年代に雑誌に発表されたまま、単行本には収録されずに埋もれていた作者の珍しいショートショートや短篇を集めた作品集。ショートショート、とはいっても星新一の作品のようにキレのあるオチで勝負するタイプではなく、むしろ長編のエッセンスのような、壮大な広がりと苦い余韻のある結末を持った作品が多いのが、いかにも神林長平らしい。欠点はといえば、どれもほんの数分で読み終わってしまう作品ばかりなので、もっとこの世界の物語を読んでいたい! と感じてしまうことくらい。作者の知られざる一面が楽しめる好短篇集だ。

魔法の眼鏡 九一年の『真夏の夜の魔法』以来、久々の邦訳となるのは、オリジナリティあふれるノスタルジックなファンタジーの名手であるジェイムズ・P・ブレイロックの魔法の眼鏡(ハヤカワ文庫FT)。勝ち気な弟ダニーとちょっと気の弱い兄ジョンの兄弟は、街に突然できた骨董店で、古い不思議な眼鏡を手に入れる。その眼鏡をかけると、何の変哲もない窓の外に、見知らぬ風景が広がって見えるのだ。そこは、ゴブリンが駆け回り、木の葉に乗ったヘニー・ペニー人が飛び回る魔法の世界だった。さっそく窓の外へ冒険に出た兄弟だったが、大切な眼鏡のレンズをゴブリンに盗まれてしまい、家に帰れなくなってしまう。そこに現れたのがドーナツ大好きでエキセントリックな発明家のミスター・ディーナー。二人が帰るには、ディーナーの発明品に頼るしかなさそうなのだが……。もともと子供向けに書かれた作品だが、ただエキセントリックなだけに見えたミスター・ディーナーの背負った悲しみが明らかになってくる後半の展開は大人向けのほろ苦い味わい。トラウマに多重人格に抑圧……と心理学用語でわかったふりをしがちなすれた大人は、月梯子やガラス魔法などの細部の魅力にひたってほしい。わずか三〇〇ページ足らずながら、ファンタジイの楽しさにあふれた佳作である。


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