週刊読書人2004年3月
奥泉光新・地底旅行(朝日新聞社)
浅暮三文(早川書房)
ブルース・スターリング塵クジラの海(ハヤカワ文庫FT)

新・地底旅行 まず今月の一押しは、奥泉光の新・地底旅行(朝日新聞社)。九四年に「石の来歴」で芥川賞を受賞した奥泉光は、『グランド・ミステリー (上)(下)』、『鳥類学者のファンタジア』など、純文学、ミステリー、SFなどのジャンルを自在に横断した作品を発表している。『新・地底旅行』は、タイトルからもわかる通り、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の続編であるとともに、明治末の日本を舞台に描かれる波瀾万丈の冒険物語。富士山で行方不明になった物理学者の稲峰博士とその令嬢を探すため、挿絵画家の野々村とお調子者の富永丙三郎、稲峰博士の弟子である水島鶏月、そして稲峰家の女中のサトの四人は、富士の樹海の洞穴から地底探検に旅立つ。
 冒険物語、とはいっても文体はシニカルで饒舌な夏目漱石風の一人称。それもそのはず、語り手の野々村は、実は漱石の『吾輩は猫である』にもちょっとだけ登場している人物だし、水島鶏月もまた『猫』の物理学者、水島寒月の弟という設定。偉そうなことを言いながらてんで役に立たない富永、田舎娘と思いきや四人の中でいちばんしっかりもののサトなど、キャラクターもしっかり描き分けられていて、愉快で抱腹絶倒の珍道中が楽しめる。後半になると物語は同じ作者の『『吾輩は猫である』殺人事件』や『鳥類学者のファンタジア』ともリンクして、いかにもSFらしい壮大な結末へ。とにかく、読んでいてめっぽう楽しい作品である。作者自身楽しんで書いたらしく、結末は続編を匂わせるものになっている。

針 さて、『石の中の蜘蛛』で推理作家協会賞を受賞した浅暮三文もまた、ミステリ、ホラー、SFなどのジャンルを自在に往還している作家のひとりだ。ハヤカワSFシリーズJコレクションの一冊として出た(早川書房)は、作者がライフワークとしている五感シリーズの第四弾で、今回のテーマは「触覚」。アフリカの密林を切り拓いたコーヒープラントの建設現場で、現地作業員が集団失踪する事件が起きる。一方、東京で蜂に刺された男性は皮膚感覚が異常に亢進し、ついには触れることにより、モノ自身の意志を感じ取れるようにまでなる。ひたすら触覚の快楽を求めてさまよう彼は、次第に女性の体に触れることに快楽を感じるようになってゆく。次第に暴走を始める彼の行動は、最後にはインモラルな行為へと……。
 作者の狙いは、超絶的な触覚を文章の力で表現しようという試みにあり、それは充分成功している。ただ、SFとしては、背後に存在する生物「彼」の意図と生態が今ひとつあいまいなのが残念なのだけれど、これは狭いジャンル観にとらわれたSFファンの見方にすぎないのかも。

塵クジラの海 最後に、ブルース・スターリング塵クジラの海(ハヤカワ文庫FT)は、サイバーパンク運動の旗手として知られた著者が、二一歳のときに書いた幻の処女長篇。塵に覆われた異星の海に棲む「塵クジラ」から採取される麻薬を求めて捕鯨船に乗り込んだ主人公の、冒険と恋の物語である。作者の出世作である『スキズマトリックス』も『カンディード』などの古典小説を思わせる遍歴物語であったけれど、こちらは『白鯨 (上)(下)』を下敷きにしたロマン派的な冒険SF。短めの長篇ではあるけれど、ドラッグ、冒険、不思議な異星生物、せつない恋、とロマンティックな要素がたっぷりつまった瑞々しい作品である。


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