週刊読書人2004年1月
●小川一水
『導きの星〈4〉出会いの銀河』(ハルキ文庫)
●牧野修
『楽園の知恵―あるいはヒステリーの歴史』(早川書房)
●筒井康隆
『ヘル』(文藝春秋)
人間の人生ばかりではなく、ひとつの文明の興亡、さらには星の誕生から終焉までといった、壮大なスパンの時空を一挙に見渡してしまうのがSFというジャンルの醍醐味のひとつ。特に、アメリカのハードSFには、ロバート・L・フォワード『
竜の卵』やジェイムズ・P・ホーガン『
造物主の掟』など、異星の文明の発達を見守ったり、ときには干渉して教え導いたりする、といったパターンの物語がある。そこに、異文化に対するいかにもアメリカ的な傲慢さが感じとることは簡単だが(しかも異星の文明のはずなのに、たいがい地球の、それも西欧の歴史をなぞっていたりするのだ)、文明を箱庭のように見守るというアイディアには、小学生のころの蟻の巣の観察めいた、わくわくするような楽しさがあることも確かだ。
このたび
『導きの星〈4〉出会いの銀河』で完結した小川一水《導きの星》四部作は、若き外文明監察官辻本司を主人公に、地球のリスに似た知的生物の住む惑星オセアノの文明発達過程を追っていく、という典型的な異星文明観察SFのパターンを取りながら、箱庭観察の楽しさを存分に味わわせてくれる一、二巻、原子力時代の到来と核戦争による大量死を描く第三巻を経て、複数の異星文明が入り乱れ、物語が全銀河系規模に広がる第四巻では、「他の文明を導く」というテーマそのものに疑いを差し挟み、アメリカ的パターナリズムに対する強烈なアンチテーゼを提示してみせる。後半に至りやや書き急いだ感もあるが、作者ならではの人間観、文明観がにじみ出た刺激的な力作である。
世界は言語によって物語られ、言語は世界を再構築する。世界と言語の危うい関係を描くのは、筒井康隆から神林長平、山田正紀へと連なる日本SFのお家芸。その伝統の最先端に連なるのが、牧野修である。
『楽園の知恵―あるいはヒステリーの歴史』は、鋭敏な言語感覚によって、めくるめく奇想と妄想を凝縮した粒ぞろいの短編集。
作者の発想の秀逸さは、物語が発生する契機として、痛みや快楽などの直接的な身体感覚を重視しているところ。たとえば「インキュバス言語」では、中年男のえげつない性的妄想が世界を再構築してしまうし、「逃げゆく物語の話」は、人の形をとった書物「
言語人形」が普及した世界の物語。ホラーやポルノの言語人形は取り締まられ、言語人形の肉体が傷つけば、物語のかけらが血のようにこぼれ落ちる。中でも出色なのが、〈家具人間〉のポー先生と〈闘具〉としてスカウトされた人間の「僕」の旅路を描く「踊るバビロン」。人間と生体家具とが共存する異様な世界を旅する「僕」は、肉体的な痛みとともに「物語」を生み出し、そして〈闘具〉として生まれ変わるのだ。不謹慎で、馬鹿馬鹿しくて、めくるめくヴィジョンに満ちたSFのひとつの到達点がここにある。
言語SFの祖、筒井康隆も、長編
『ヘル』で気を吐いている。筒井の描くヘルには別に鬼だの悪魔のたぐいはおらず、現世での情事や暗い欲望やうしろめたい思いが、幻想と現実の区別もつかないままに、ひたすら繰り返されている。そこにははじまりもなければおわりもなく、死んでしまっているから憎しみも苦しみもない。文体芸や、スラップスティックは今なお冴えているが、かつての不穏当な筒井作品に比べると結末が上品すぎるのが少し寂しい。
(C)風野春樹