正字正假名隨筆 「鞭毛亭日乘」

外科篇 「手を洗ふ」


 皐月二十七日、手を洗ふ。
 洗ふ前に先ずは白い部分がなくなる程短く爪を切り、紙製の使い捨て帽子とマスクを着用する。手に消毒劑を取り、爪、指間、手背、手掌、前腕、上腕の下半分の順に三十秒で洗ふ。兩手合はせて一分間である。これを二度繰り返す。計二分である。この時、決して胸などに手を觸れたり、手を肘より低く降ろしてはならない。水が下に流れて折角洗つた手が汚染されては元も子もないからである。
 次に滅菌したブラシを使ひ、前と同じ順序で、今度は一箇所に三十秒ずつ掛けて洗ふ。計六分である。
 洗ひ終へたならば、滅菌した不織布で手と腕を拭う。腕を拭く時は、布を腕に卷きつけ、反對の手でなるべく腕から離れた所を持つ。無論この時も手を降ろしてはならないし、腕に觸れてもいけない。一度腕を拭つた布に觸れる事も許されない。
 ブラシや布を捨てるときも、手を降ろさずに腰を落として屑入れに捨てる。
 更にエタノオルを手指に刷り込んで消毒をし、やうやく手洗ひは完了である。
 此処まで終へるのに馴れない私には三十分以上かかつた。だが、これを全て濟ませなければ、手術室に入る事は許されないのである。

 手術室に入ると、既に患者は運び込まれてゐた。麻醉醫二名と看護婦さん三名が忙しさうに動き回つてゐる。麻醉醫は緑の、看護婦さんは水色の制服を着てゐる。ちなみに外科醫は白、學生である私は見榮えのしないねずみ色である。この服を、パンツ以外の下着を全て脱いで身につけてゐるのである。看護婦さんもさうである。深い意味はないが。
 忙しい看護婦さんの手を借りて、ゴム手袋と手術用の青い上着をつけさせてもらふ。別に看護婦を酷使してゐる譯ではなく、手の無菌を保つ爲である。我々の手は、手術着や手袋の内側にしか觸れてはならないのだ。その後暫くは、實習生である私は手術室の隅で、せいぜい邪魔にならぬやう縮こまつてゐる位しか仕事はない。「一寸退いて」と看護婦さんに邪險に扱われても文句は言へない立場である。
 ふと氣づくと、手術室には幽かに音樂が流れてゐた。聽いてゐると、クラシツク、ジヤズ、カントリイとジヤンルは次々と變はつてゆくが、いづれも共通點は輕快で明るい音樂といふ事だ。これは患者の爲といふよりは(麻醉で眠つてゐるのだから判る譯がない)醫師たちの緊張を和らげる爲であらう。

 やがて三人の醫師(ベテラン、中堅、研修醫の三人である)が現れ、午前九時、手術は開始された。外科の朝は早い。
 患者は六十歳の男性。肝癌である。一年程前肝癌を發見され、肝臟の一部を切除してゐるのだが、此の度再發してゐるのが發見されたものだ。これを再び切除するのが、今回の手術の目的である。
 裸で眠り込んでゐる彼の體を滅菌した青緑の布で覆う。すつかり覆うと腹部だけが長方形に露出した状態になる。腰から足の上には高い臺が設置され、此処にも布が掛けられてメスや鉗子が置かれる。此処に、醫師の指示に從つて器具を渡す係の看護婦が一人つく。もう一人の看護婦は、その器具係にさらに器具を渡す役目である。この看護婦は手袋はせず、必要に應じ、引き出しから糸などを取り出し、器具係に渡す。汚染されぬよう、器具は全て二重の袋に入つてをり、手袋をしてゐない看護婦が觸れるのは外袋だけである。

 まず、醫師は持針器(縫合をするための曲がつた針を保持する器具である)を要求した。切開もせぬうちに針と糸とは、どういふ事か、と思つて見てゐると、醫師は布の隅を針で患者の腹に縫いつけ始めた。確かにただ布を體に掛けただけでは不安定であり、固定する必要があるのだろう。麻醉で眠らされた患者には何も感じないし、傷跡も殆ど殘らない。理に叶つてはゐるのだが、何とも荒つぽい。
 これが終はつてやうやく體にメスが入る。前回の手術痕に沿つて切開を行ふ。先ずは普通のメスで一、二ミリの深さで細く皮膚に傷をつけてから、醫師はおもむろに電氣メスを取り出した。ボタンを押すと電流が流れ、組織が燒き切れる。じうじうと音を立て、肉の焦げる嫌な匂いを漂はせ乍ら、皮下組織を切斷する。血は殆ど流れない。脂肪組織を切り、更にその下の腹膜を切る。時折血管を切つてしまひ、ちよろちょろと血が流れ出すが、醫師は慌てず騷がず血管をピンセツトでつまみ、電氣メスをピンセツトに當てる。「パチン」といふ音とともに血管は癒着し、血の流れは止まる。太い血管の場合は糸で結べばよい。
 メスは腹部にY字型の穴を開けた。この切開方法を外科用語でメルセデス切開といふ。名の由來はメルセデス・ベンツのマアクを思ひ出せばすぐに了解出來るだらう。本當の話である。
 普通ならばこれで胃や肝臟などの臟器が見える筈なのだが、この患者では何だかダリの繪にも似た得體の知れぬ組織が蠢いてゐるだけである。前回の手術の爲に組織が癒着してしまつてゐるのである。手術開始から三十分、早くも長期戰が豫想され、私は獨りため息をついた。
 とにかく癒着した臟器を引きはがさねばならぬ。さうしなければ肝臟に辿り着く事はできぬ。腹に空いた穴をかぎ爪のついたノギスのような器具でいつぱいに押し廣げ、醫師達は冷靜に組織に電氣メスを入れ始めた。

 それからは少し切り、血が出たら電氣メスか糸で結紮して止める、の繰り返しである。漸く肝臟の姿が望めた時には、既に開始から一時間半が過ぎ去つてゐた。
 流石に醫師達もほつと安堵の聲を洩らす。次いで醫師は何を思つたのか、穴の中にむんずと手を突つ込むと、肝臟の後ろ側にまで深く差し入れ、もぞもぞと手を動かして何やらうなずいた。つくづく荒つぽい話である。
 ちなみに私はこの間完全に手術の萱の外に置かれ、單に見物してゐるのみである。醫師ではないのだから當然の事ではある。ただし時にはへらのやうなもので肝臟を押さえたり、腹に開いた穴を廣げたりするくらいの手傳いは許されてゐるが。何にせよ、術者は退屈する暇すらないのだらうが、見物してゐる者にとつては手術とは退屈窮まりないものである。二時間もすれば只立つて見てゐるだけの時間に飽いて來る。メスや鉗子を置く臺に手をついたり、腕組みをしたりする事は許されるが、手を下ろしたり頬杖をついたりする事は許されない。腰より下は不潔と看做されてゐるからである。患者の體内に直接觸れる手を汚してはならないのだ。
 更にいふならば、頭や鼻が痒くなつてもそれを掻く事すらできない。眼鏡がずり落ちても直す事すらできない。私は一度鼻の痒みがどうしても我慢できなくなり、地獄の苦しみを味わつた。暫くして痒みが治まつた時にはほつとしたものである。

 閑話休題。今暫く結合組織をメスで切斷し、視野を廣くした後、車の付いた大きな機械が、がらがらと運び込まれた。超音波檢査裝置、所謂エコオである。濳水艦のソナアと原理は同じだ。プロオブを人體に當てると、その内部の樣子が畫面に映るのである。但しその畫面はとても鮮明とは言ひ難いので、これを讀み取るには多少の熟練が必要である。
 醫師はプロオブを手にし、凹凸のあるぬらぬらとした桃色の肝臟の表面に當てた。無論、このプロオブも滅菌濟みである。色々と向きを變へて肝臟にプロオブを當てると、黒い楕圓形の領域が一つ發見された。これが癌らしい。ボタンを押し、畫面寫眞を取ると、エコオの役目は終了である。
 時間は既に十二時。開始以來三時間が過ぎてゐる。私は次第に空腹感を覺え始めてゐたが、手術は全く終はる氣配を見せない。私は晝食拔きを覺悟した。
 それから肝臟を切り取る段となるのだが、暫くはメスを入れては血の流れを見つけ、血管を塞ぐ、といふ單純作業が續いた。まずは切り取る部位に繋がる血管を全て斷ち切つて置かねばならないのだ。やつてゐる方も辛いだらうが見てゐる方はもつと退屈だ。そろそろ足も疲れてゐる。三十分程で漸く單純作業は終はつたが、私には一時間にも二時間にも感じた。この頃、私の頭にあるのは、單に早く此処から出たいといふ欲望のみである。

 次いで漸く肝切除となる。切り取る部分のおおまかな輪郭を電氣メスで付けておき、その線上に針状のマイクロ波のプロオブをぶすりと刺す。マイクロ波で付近の細胞を殺しておいてから、切除を行うのであるが、そんな事はどうでもよろしい。早く終はつて欲しい。
 その後はウオタアジエツトメスなる新兵器の到來である。ペン状の機械の先端から、一平方糎當たり二十瓩といふ壓力で水がほとばしり出る。これを使へば肝の實質を切り、血管のみを殘す事が出來るのだという。無論、血管は二箇所を糸で縛り、普通のメスで切斷するのだが、この作業が遲々として進まぬ。ほんの僅か水で削つては、血管を縛つて切るの延々たる繰り返しである。氣の短い人間は外科には向かぬ。それにしても早く終はらぬものか。この頃の私は、餘りの空腹に朦朧としてをり、黄色い脂肪組織は卵燒に、くねくねとのたくる小腸はまさに腸詰めの名の通りソオセエジに、そして臟器を浸す眞紅の血液はケチヤツプにすら見えてゐた。なかなか食欲をそそる光景ではあつた。

 徑七糎程の肝臟片がぽろりと肉體から離れたのは、午後三時半を回つた頃であつた。手術開始後六時間半が過ぎてゐる。私の頭は既に朦朧としてゐた。よつて此処から先の描寫には間違いがあるやも知れぬが、御容赦頂きたい。
 これで漸く山場を過ぎたか。私は心の中で快哉を叫んだ。だが、私はまだ手術といふものを理解してはいなかつたのだ。醫師達は再びメスを握り、今度は癒着した胃に取り組み始めたのである。
 私の忍耐力は限界に達してゐた。が、私の心など知らぬげに手術は淡々と進んでゆく。胃に轉移があるか否か調べる心積りらしい。更に一時間が過ぎた。胃には轉移はなかつた。

 ふう、と執刀醫も思はずため息をついた。既に手術開始七時間半後である。醫師はメスを置いた。これより閉腹である。
 金屬の計量カツプ一杯の生理食鹽水を、どつとばかりに腹腔に流し込む。手でよくかき混ぜた後でドレエンで吸引する。これを數回繰り返せば、洗滌作業は終了だ。
 肉を左右に廣げてゐた鉤を外し、針と糸で肉を繋ぎ合はせる。此処からは本當に裁縫にも似た作業だ。まず細い糸で皮膚面に出ないように縫い、次にもつと太い絹糸で皮膚を縫合する。私も糸を結ばせてもらつたが、慣れないとどうしてもゆるくなつてしまい、案外うまくできないものである。最後は巨大なホチキスでパチンパチンと皮膚を止める。少し血が出るが、そんな事は氣にしない。傷口にはガアゼをテエプで止めて、手術は全て終了である。
 所用時間八時間二十分。どつと疲れた。

追記

 しかし二週間後、この患者は亡くなつた。他科での實習中だつた私はその事を、友人から教へられた。
 この場を借りて、謹んで冥福を祈らせて頂く。

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