正字正假名隨筆 「鞭毛亭日乘」
基礎醫學篇 「人間迄後一歩」
サテ唐突ではあるが、醫學部の學生といふのは、普段どんな事をしてゐるとお思ひだらうか。醫學を學んでゐるのは無論であるが、その醫學の内容はと尋ねられれば、サアと頚を傾げる他はないのではないだらうか。そこで本隨筆では、醫學生である私自ら手を下した實習、實驗に的を絞り、醫學部に入つた學生がどのやうにして「醫學」に慣れ親しんでゆくのかを考察してみたい。
豫め心臟の弱い方の爲にお斷りしておくが、本編には獵奇的表現、感想が瀕發してゐる。だからといつて、筆者の醫學生としての適性を疑つたり、増してやこの文章(特に結末)だけで筆者の人格を決めつけたりはなさらぬやう、切にお願ひする次第である。筆者を知る人なら誰もが御存知の通り、筆者は窮めて人格高潔な人間なのだから。
大學二年、醫學部に進學する前年の秋から、我々は月曜と火曜の二日間だけ、教養學部から遠く離れた醫學部に通ふ事になる。このやうなフライング染みた幕開けで、醫學部に於ける講義と實習は始まるのである。この期間に行はれる實習は、「骨學實習」と呼ばれる。「骨學」とは聞き慣れぬ言葉だが、名を聞けば想像がつく通り、骨を觀察する學問である。六人程度のグルウプに、人骨一セツトが配られ、皆でそれを觀察するのである。顯微鏡もルウペも用ゐない。只ひたすら肉眼で觀察する。
馬鹿みたいだと思はれるかもしれないが、確かに馬鹿みたいではある。御丁寧に「骨學實習の手引き」なる教科書もあり、熱心な學徒はそれと首つ引きで骨とにらめつこをする。それ程熱心でない者は、一頻り骨を矯めつ眇めつしただけで歸つてしまふ。全く熱心でない者は始めから出て來ない。
大腿骨を手にした侭恐る恐る黒板に手を觸れた學生が、骨の新たな使ひ方を發見したといふ話も聞いたが、多分デマゴギイであらう。
この實習の意義は、解剖學の基礎として、先ず骨の構造と名稱を知る、といふ事になつてゐる。だがもう一つ、隱された意味があるのではないだらうか。
それは、「死體に親しむ」といふ事である。醫學部に進學すると、我々は嫌でも「解剖實習」を行ふ事になる。醫學生生活の言はば眞の幕開けである解剖實習を開始する前に、先づは取つ付き易い形で「死」に慣れ、來たるべきシヨツクを幾らかでも和らげる。これが、「骨學實習」の眞の意義であるやうな氣がしてならない。
骨學實習を終へ、樂しい春休みを過ごした後、我々は愈々死體と對面する。
始まりは餘りにも唐突である。何のクツシヨンもなければレトリツクもない。休み明けの初日午後、僅か半時間程度のガイダンスの後、我々は解剖學實習室へと追ひ立てられる。戸惑ひつゝも扉を開ける我々の前には、既に二十體程の「御遺體」(解剖實習では、死體の事をかう呼ぶのだ)が首を長くして待ち受けてゐる、といふ寸法である。
何とも白つぽい。これが、實習室に入つた瞬間の私の印象である。白いタイルの上に石の解剖臺が二列にきちんと竝んでゐる。窓は大きくとつてあり、室内は明るく白い光で滿たされてゐる。そして解剖臺の上には、白いビニルカバアが何やら意味有りげな形に盛り上がつてゐる。
私は一つため息をついて覺悟を決め、鞄の中から用具を取り出した。
解剖をするには、當然乍らそれなりの裝備と用具を必要とする。先ずはメス、ハサミ、ピンセツト等が一まとめになつた解剖セツト。使ひ捨てのゴム手袋。そしてビニルのエプロンと腕カバア。此等は油が服に着くのを防ぐ爲に必須である。人の體といふものは脂肪が多く(殊に女性)、酷く油つぽいものなのである。三時間程度の解剖を終へた時には、手袋や腕カバアは油でテラテラと光つてゐる位である。
解剖は、「解剖實習の手引き」といふ教科書に基づいて行はれる。當然、實習中頁をめくれば、教科書は油まみれとなる。普通は、グルウプのうち誰か一人の教科書を犧牲にするが、どうしても誰も尊い犧牲となつて呉れない場合には、金を出し合つて全頁のコピイを取る破目になる。運が良ければ先年實習をした學生の教科書が、その邊に放置されてゐるので、それを使ふ。我々の場合は最後のケエスであった。
六人一組となつて、一體の御遺體を取り圍む。六人は更に三人づつに分かれ、それぞれ左右で獨自に解剖を進めてゆく。人體といふものはほゞ左右對稱なものだから、こんな事が可能なのである。當然、心臟や腸等、一つしかない臟器に差し掛かつた場合は六人で解剖を進める事になる。
なほ、一グルウプの人數といふのは、年によつて變はるもので、我々の前年には、たつた二人に一體が割り當てられたさうだし、その前は四人に一體であつたさうだ。御遺體にも凶作豐作があるらしい。
サテ白いビニルカバアをガバツとめくつて、干からびたやうな小さな御遺體の御尊顏を拜む。冷たい解剖臺に素裸で寢轉がつて學生の解剖を待つてゐるのは、大概が七十を越えた老人である。自ら望んで學生解剖に付される事になつた人ばかりだ。頭はぐるりと無雜作に太い糸で縫い合はせてある。「腦出し」の作業が既に終はつてゐるのである。
胸の部分に最初のメスを入れる迄に心中に幾らかの葛藤がある。泣き出す女學生もゐると聞いた事があるが、我々の學年にはそんな殊勝な女性はいなかつた。氣丈な女性ばかりと見える。
メスを入れた。下ろしたてのメスは皮膚の中にスツと吸い込まれて行く。腹部の中央に丁字型の切り込みを入れ、その中央部をピンセツトでつまみ上げて上皮だけを丹念にメスと指で剥がして行く。黄色い脂肪層が色鮮やかだ。上皮を剥がし終へたら次はピンセツトで脂肪層を取り拂い乍ら、神經や血管を丹念に探す。根氣の要る作業である。無雜作にべりべりと剥がしてゐると、細い神經は簡單に切れてしまふ。
基本的に、學生の系統解剖は、この作業の繰り返しと言へる。神經や動靜脈を求めて、脂肪や筋肉の間をピンセツトで探る。見つかつたら、その走行を確かめて次の神經を探し始める。脂肪や結合組織は、少しづつピンセツトでむしり取るやうにして、アルミ製の盆の中に入れる。盆の中に積み上がつた黄色い脂肪は、スクランブルエツグを、茶色い結合組織は鷄のそぼろ肉を思はせる。空腹時等は、こんな物にも食慾を感じてしまふものである。盆の中に入れたこれらの組織は、捨てたりはせずに、ポリバケツに入れて保存しておかねばならない。全て神聖なる御遺體の一部だからである。
暫く解剖を續けてゐると組織が乾いて來るので、汝雨露か柄杓でカルボオル液といふ保存液を掛ける。この液はつんと鼻を突く匂ひを持ち、その日の解剖を終へた頃には、服や白衣に保存液の匂ひが染み込んでしまつてゐる事も珍しくない。地味な作業である。
これを延々繰り返し、胸、腹部、腕、足、頭といふ具合にほゞ三ヶ月かけて全神經と血管を見るのが、系統解剖といふものなのである。當然、普通の神經を持つた人間なら、一週間もこれを繰り返せば嫌氣がさしてくる(解剖實習は毎日あるのである)。最初の頃は持つてゐたはずの、死者への畏敬の念もどこへやら。徐々に出席する學生の數も減つてくる。一ヶ月もすれば、二、三人で解剖をしてゐるグルウプも珍しくないばかりか、皮を半分剥がされた御遺體以外一人もゐないグルウプもある始末である。一應出席表はあるのだが、自己申告制なので、友人に記入を頼んでおく事も充分可能である。
だが、どこにでも熱心な學生といふものはゐるもので、かういふ學生はその日のノルマをこなす迄は決して歸らうとはしない。細い神經がどうしても見つからないとなれば、夜中迄殘つてもそれを探す。かういふタイプは女子學生に多いやうだ。
私はといへば、一應は毎日のやうに解剖室を訪れてはゐたが、とても此處迄する氣はない、どつちつかずの中途半端な學生であつた。
餘談になるが、解剖室の中央には一體の骨格標本が飾つてある。茶色く變色した古い標本であるが、大事さうに硝子ケエスの中に飾られてゐる。ケエス上部には、次の樣な銘が記されてゐる。「技師 横山七郎君(一九〇三〜一九三四)」。これは、この標本を製作した技師の名ではない。この標本そのものが、横山君なのである。何か不治の病に冐されて亡くなつたのだらうか。それとも事故だらうか。戰死だらうか。私には知る由もない。とまれ、我々は三ヶ月の間横山君に見守られ乍ら解剖を續けたのである。
二ヶ月もすれば、最早御遺體はバラバラである。腕や足は胴體を離れ、皮や筋肉を引き摺つた姿で無雜作にポリバケツに放り込まれてゐる。切り開かれた心臟や胃腸も同樣である。解剖臺の上にあるのは、全身の皮を剥がれ、臟物を取り出された獵奇的なトルソだけである。
我々は既に「死」には慣れ切つてゐる。氣味が惡いとも感じずに、平然と解剖を進めて行く。その状態になる迄の過程を知つてゐるからだ。だが、いきなりこの状態の御遺體を目にした人は、矢張り驚くやうである。我々は時々、他學部の友人や女友達を見學に來させる事があるのだが、この頃初めて見學に訪れた人々は、必ずと言つて良い程何かしらシヨツクを受けたやうな表情で歸つて行く事になる。
七月に入ると、我々は最後の行程として顏の皮剥ぎを始める。眼、耳といつた各器官の構造を確かめるのである。例によつて神經や動靜脈の走行も調べねばならぬ。
サテ頭部の解剖に關して、有名な傳説があるので紹介しやう。ある學生が解剖實習の最中、徐にメスを握つたかと思ふと、御遺體の耳を切り取つたのだといふ。何と亂暴な事を、と呆氣に取られる他の學生達の前で、その學生は切り離された耳を取り上げ、解剖室の壁にぺたりとくつつけた。そして彼は嚴肅にかう宣言したのだ。
「壁に耳有り」
この學生は即座に退學處分となつたといふ。
私は、元は千葉大學での話だと聞いたが、どうやらこの傳説は全國の大學醫學部に廣がつてゐるらしい。「人面犬」や「消えるヒツチハイカア」にも似た都市傳説として興味深い。
なほ、この傳説には「小腸で繩跳び」といふワ゛リアントもある。學生の退學で終はる処は同じだ。
私自身は、心臟の中の凝固した血液を洗ひ流してゐる時に、「心が洗はれるやうだ」といふギヤグを考案したが、餘り流行らなかつた。
閑話休題。咽喉部の解剖を終へた頃には、頭部は體幹を離れ、解剖臺の上に乘つてゐるのは小さな頭のみとなつてゐる。眼球を取り出し、鼻を削ぎ落として各器官の解剖を終へれば、教科書にある作業は終了である。
解剖實習の最終日、ポリバケツの中に放り込まれた腕、脚、頭、心臟、肺、筋肉、脂肪、といつた全てを、少しも餘さず白木の棺に移す。バケツを逆さにして内容物を棺に空けるのである。この棺、通常の棺に比べ、縱の長さが半分以上短い。體がバラバラになつてゐる譯だから、それで充分なのである。棺の蓋は釘で打ち付け、それを地下の靈安室に運んだ時點で、夏休み前の解剖實習は全て終了となる。我々がどんな風に死者を扱ひ、その結果最終的に死者がどんな風な姿になつたのか、恐らく遺族の方々は知らない。遺族が目にするのは、燒かれて灰になつた姿だけである。多分それで幸せなのだらう。彼等にとつても我々にとつても。
慰靈祭は毎年九月に行はれてゐる。
先に私は「夏休み前の」解剖實習が全て終了した、と書いた。これには理由が有る。夏休みが終はつた後も、解剖實習は續くのである。
しかし御遺體は棺の中に封じ込めてしまつた。もう何一つ殘つてゐないではないか。さう思つた人は、一寸考へて欲しい。棺に入れられず、まだ殘つてゐる部分が一つだけ有る。まだ我々の解剖刀の餌食になつてゐない部分が一つだけ有る。
お判りだらうか。それは腦である。九月に一週間程をかけて、我々は腦の解剖を行ふ。包丁に似た器具で生ハムのやうに腦をスライスして、中の構造を確かめるのだ。灰白質と白質の綺麗なツウトンカラアを爲した薄切りの腦は、阿蘭陀邊りのチイズにも似て中々美味しげに見える。皺だらけの大腦、縞模樣のギザギザを成した胡桃大の小腦、細長い延髓と、全てを細切れにした時點で、解剖實習は終了である。
といふ事は、腦だけは棺には收められない事になる。この事も、遺族の方は知らない方が幸せだらう。
サテかうして、我々は解剖を終へ、人間の肉體に、そして「死」に親しんだ。だが、我々は、そこに初めから存在する「死」といふものに對峙しただけである。生が死に變はる瞬間は、未だ體驗してはゐない。その不備を埋め合はせるべく、生化學實習が始まる。
生化學實習では、マウスを實驗臺に用ゐて筋肉や心臟の動きを觀察する。
この實驗の方法であるが、筋肉をマウスの肉體に付いた侭にしておいては、定量的な實驗は出来ない。どうしても筋肉だけを取り出して觀察する必要が出てくる。簡單に言へば、マウスを殺す必要があるのだ。只、殺す時に藥物を使ふ譯にはいかない。藥物は筋肉の組織にどんな影響を及ぼすとも限らない爲である。
必然的に、採用されるのは物理的な殺害方法となる。先ず推奬されるのは、「頚椎脱臼」による方法である。マウスの首根つ子をしつかりと掴み、もう一方の手でマウスの尻尾を力一杯引つ張るのである。かうすればマウスは頚椎脱臼を起こし苦しまず即死する。だが、情をかける積もりで手加減したり、又コツを心得ぬ非熟練者が行ふと、マウスは苦しんで暴れ回る事になる。中々難しいのである。
そこで今一つの方法が登場する。こちらはそれ程熟達を要せず、割合簡單にマウスの息の根を止める事が出來る。先ずはマウスを押さへつけ、利き手でマウスの尻尾のつけ根を掴む。そして腕を高く振り上げ、机や流しの角に、マウスの後頭部を打ちつける! こちらも先の方法同樣、手加減をするとマウスは酷く苦しみ暴れ回るので、非情に徹する事が何より重要である。情けを捨て切れない女學生等が、泣きさうになり乍ら、何度も何度もマウスを流しに打ちつけてゐる光景もよく見られる。
我々は專ら後者の方法でマウスを殺し、大腿の筋肉の標本を取つた。
ところが筋肉の標本採取は、さう簡單なものではない。筋肉に繋がる神經迄一緒に取らねばならないので、なほ難しい。不器用な我々は、幾度も神經を切つてしまひ、その度に又新たなるマウスを流しに打ちつける事になる。不器用な學生等の犠牲となつて死んで行つた鼠達に、會掌。
話は變はるが、ジエイムズ・チプツリイ・ジユニアに「鼠に殘酷な事が出來ない心理學者」といふ短篇があるのを御存知だらうか。あの作品にもマウスの效率的な殺し方が紹介されてゐた。鋭利な刃物でマウスの頭部をスパリと切り落とすのださうだ。何十匹も殺すと、足下にマウスの首だけがうず高く積もる事になる。確實な方法ではあるが、餘りやつてみたいとは思はない。
マウスを固い壁に力一杯投げつける、といふ手法を取つてゐる實驗室もあるさうだ。我々の流しに打ちつける方法と似たり寄つたりだが、マウスが息を吹き返して命からがら逃げ出したりはしないのだらうか。來客が壁の赤黒い染みを不審に思つたりはしないのだらうか。
とまれ、かうして我々は自らの手を下して罪も無き小動物を屠り去る事を覺える。そしてそれが案外簡單である事も。
次のステツプではもう少し大きな動物に挑戰する。兔である。麻醉を射つた兔の血中にさまざまな藥物を投與して、血壓や呼吸數の變化を觀察するのだ。一通り實驗が終はつたなら、鹽化カリウムを投與すれば、血壓計の針は靜かに降下し、やがて完全に停止する。
似た實驗は、犬を用ゐても行はれる。哀しげな聲で吠える犬に麻醉を射ち、四肢を縛りつけて喉をかき切り、呼吸確保の爲のパイプを喉に突つ込み、藥物を投與して、機械から吐き出される心電圖の變化を觀察する。島田莊司作品に登場する探偵、御手洗潔が醫學部を辭めるきつかけとなつたのはこれに類する實驗と思はれる。
此處迄來れば、既に死は我々の手中にある。我々は、今や自らの手で生と死をコントロオル出來る事を知つてゐる。人體解剖を以て、人體の構造に通曉し、死の状態に有る人間に慣れ親しんだ。そして、鼠、兔、犬と、徐々に大きさを増してゆく動物を通じて、他の生物に死を與へる術を知つた。
人間迄は後一歩である。