大学病院の医局図書室に行ってみたところ、なぜかそこで発見した
『1958年版現代用語の基礎知識』。かのベストセラーの、40年近く前のバージョンである。厚さはだいたい今のものと変わらないが、判型はほぼ半分。40年で現代用語は2倍に増えたということか。なんでも、近くの図書館で廃棄処分になった本をもらってきたのだとか。うちの医局員もなかなか物好きである。
読んでみるとこれがなかなかおもしろい。意味不明の流行語あり、今ではふつうに使う言葉の意外なルーツあり。医学の分野にやたらと感染症や寄生虫なんかの項目が多いのは戦後間もないころとしては当然のことだろうし、最新の物理学用語に原子力関係の言葉が並んでいるのも時代を感じさせる。
いくつか項目を選んで紹介してみよう。まずは一行知識風のものから。
風太郎 フータローではなく、プータロウと読むのが本当。横浜市桜木町駅近く、花咲町の石炭ビルを起点とする一帯に根城を持っている日雇労務者たちのこと。
プータローのルーツは横浜にあったらしい。妙に地域が限定されているのがおかしい。
ノー・コメント 昭和26年9月1日、対日講和会議に出席のためサンフランシスコに到着したグロムイコ・ソ連首席全権が記者団から質問の矢を浴びせられたのに対し、「ノー・コメント」一点張りで通したのに始まる。
パトロール・カー パトロールを「歩く交番」とすれば、これは「走る交番」。大阪、東京の両警視庁ではじめて採用された警ら方式で、超短波を備えた自動車で連絡をとりながら、犯罪発生の現場へ急行したり巡察したりする。
それまでパトカーがなかった、というのも意外だけど、何より驚くのは、大阪にも警視庁があったというところ。
ロックン・ロール (略)リズム・アンド・ブルースで踊る狂熱的なモダン・ダンス。ロックもロールもゆさぶり動かすという意味で、その字の通り、柔道の投げ技のようなものまで入った、急テンポのはめをはずした踊りである。
「柔道の投げ技」って……。
百円銀貨 政府は早くから百円銀貨をつくりたい意向をもっていたが、お札の原料であるミツマタの生産業者の反対でのびのびになっていた。そこで政府は千円札の回収を早め、五百円札をふやすなどでミツマタの使用量をふやし、買上値段も経済事情によって考慮するという約束でミツマタ業者の了解を得ることに決め、臨時通貨法改正案の通過を待って、32年秋から流通させることになった。
政府も大変である。当時のミツマタ業者というのはそんなに発言力があったのだろうか。しかし、千円札を減らして五百円札を増やす、というのはなんとも姑息な解決手段である。
グラマー写真 グラマーとは「神秘的な魅力」ともいうべき言葉。(略)「グラマー・ガール」とは、たとえばヌードのようなどぎつい裸体そのものではなく、男性が見ても、てれたり恥ずかしがったりしないですむ程度にある限界を守りながら、しかも人目を引くだけの魅力をもった美人写真をいっている。つまり、女性のもつ内面の美しさを着ているものやアクセサリーを通して表現した写真が「グラマー」で、セックスだけを強調したものは、本来のグラマー写真とはいえないとされている。
ものすごい熱弁である。そんなにグラマー写真に思い入れがあるのか、この人は。「本来の」と書いてあるということは、当時からグラマーの意味は誤解されていて、この筆者はそんな現状に対して義憤を感じているのだと思われる。しかし、今ではもう死語だな、グラマー。
完全冷房音楽 (略)ある音楽から暖かい楽器と暖かい音の組み合わせを取り去ると、聞いただけで冷味を感ずる音楽ができるという理くつからこの音楽が考えられた。田口う(さんずいに卯)三郎氏(田口心理物理学研究所長)、森信胤氏(日大医学部教授)らによって、32年8月に第1回の実験が試みられ、話題をまいた。
第2回以降は行われたのだろうか。田口氏の肩書きがうさんくさいのもなんだか気になるが、どんな音楽なのか一度聴いてみたいものである。
混血児 (略)ときに混血児がすぐれている場合が認められる一方、土人などとの間の混血児に、奇形がでることがある。
差別語総ざらえ。一応すぐれていることもある、とフォローはしてあるけど、さすがにまずいでしょ、これは。
第二結婚 林髞博士の唱えた結婚方法。ふつうの夫婦生活は15年くらいで倦怠期がくるが、その時お互い夫婦を変えると再び活力を取り戻すというのが理論的根拠。一種の浮気承認制度。
うーむ、林先生ってば、いろいろ怪しい説を唱えていたんですね。
実はこの林先生、知る人ぞ知る有名人。慶応大学医学部の教授で、『頭がよくなる本』を書き、ビタミンB1を摂れば頭がよくなるというトンデモ学説を唱えている。その論拠は、条件反射の実験に使われたパブロフの犬が、ビタミンB1入りの餌を食べていたから、だとか。今もコンビニとか生協とかに売ってる「頭脳パン」は、この説をもとにした商品。
さらに林先生は文筆の分野でも名を残している。推理作家
木々高太郎、といえば知っている人もいくらかはいるのではないか。代表作は「網膜脈視症」。「人生の阿呆」で直木賞も受賞しているし、それまでの「探偵小説」にかわって、戦後「推理小説」という言葉を考え出したのがこの人。
インパクトという点ではいちばんだったのがこれ。
セミテン (略)皇太子に友人がつけた綽名。(略)セミは準、半の意。
その前につけられた綽名は、茶色の豚の略で「チャブ」で、どちらの綽名で呼ばれても皇太子は「ハイ」と答えたとか。チャブで返事する方もする方だと思うが、この友人も度胸がある。右翼に襲われたりしなかったんだろうか。昭和33年といえば、天皇が人間になってまだ10年しかたっていない頃だ。天皇が長いこと神として君臨してきた反動で、逆になれなれしくなっていた時期なのかも。